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 先ほど、いわゆる「ウーマンリブ」の運動が、日本では1970年代に入ったころ始まったという話を書いた。小池知事は、当時ティーン・エージャーくらいだろうか。

 この運動をロコツにからかった漫画があったりして、私は「時期」の記憶がちょっとあるのだが、「ウーマンリブ」(女性解放)という言葉は、1970年代末には、もうあまり耳にしなくなった。

 新奇な何かでなく、むしろ流れが広く定着したともいえ、80年代に入ると、男女雇用機会均等法が作られたりする。
 海外では、1970年代末に、英国で女性首相、サッチャー首相が登場。

 すなわち、小池百合子、野田聖子といった人たちは、「国のトップ=女」ということに、感覚的にさして違和感をもたない、日本における先頭世代なのだと思う。だから総裁選に、スッと手が上がる。

 立つひと自身の意欲や能力もさることながら、ここで一つ大きいのは、投票する側もまた、同様の感覚の人が、いま上は60代くらいまでを占めるに至っていることだろう。

 昨年の都知事選で、小池氏は特に女性の強い支持を受けていたが、これが1970年代あたりだと、政策以前に「女が都知事で大丈夫か」という躊躇が、同性のなかにもそうとう存在したと思う。

 政治と歌とは、まったく畑ちがいながら、明確な共通点がある。それは、一般の多くの人々の支持によって、トップ当選したりアルバムが1位になったりするということだ。
 学問やスポーツの、賞/記録などと根本的にちがう。

 女性議員に見られる、昔からひとつあった形は、女優出身等の、すごい美人が担ぎ上げられ、男性票をたくさん獲得するというものである。
 これは、元祖「新宿の女」の人気の図式に似ているといえる。

 それと違ってと言うと、これはこれで失礼になるため言いかたが難しいのだが、小池世代(&「中・松」世代)を貫いている特徴は、同性からの強い支持だ。そこに、ひとつ時代の大きな変化のラインがあるように思う。

 たとえば松任谷由実は、単に人気シンガー・ソングライターであるというのを超えて、もっと広い意味で、多くの若い女の子が「ユーミンについていきます」という存在になっていた。
 思想を語ったりする人ではないが、感性に関わるもの、よろずおまかせくださいみたいな存在。

 男性歌手に女の子のファンがつくのと違い、同性をリードする人あるいはその代弁者といった形で、女の歌手に女のファンがつく、そうした流れの巨大なものは、この人が嚆矢だったと思う。

 圧倒的な力をもつ政権の方針に、まっこう逆らい、議員辞職して都知事選に打って出た小池氏の行動は、非常にパンクでもあった。

 ふつうの政治家は両わきを気にしつつ走り出すが、前だけ見て走るのが小池氏の特徴だと、ある自民党議員は評したそうだ。
 それが常にいいとは言えないだろうが、昨年から今年にかけての走りかたは、まさにそんな感じだった。

 一世を風靡した、新・旧の「新宿の女」は、先ほど書いたように1歳ちがい。早くから大スターになった藤圭子を、ひと時代まえの存在に感じていたが、現役バリバリでおかしくなかった人物だなあと改めて思う。

 小池知事も、短期間に募った新人がこれだけ都会議員になると、中には問題を起こす人が出てきて、ときどき新宿でブルースを口ずさむことになるかもしれない。

 強くなればなったで、昨年と今年、後ろから弾を撃ってくれていた週刊文春や週刊新潮が、弾を撃ってきたりするだろうし(こうした存在こそ、日本のパンクかも)。

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