このアルバムは、「気球にのって」という、矢野ワールドとしか呼びようのない自由奔放な曲で始まる。
当時(1976年)、絶頂期にあり、グラミー賞は彼のための賞のようだったスティービー・ワンダーの、なんと真横に矢野顕子が並べられた理由は、この「気球にのって」を聴くだけでもよくわかる。自在な歌の面でも、鍵盤さばきの面でも。
矢野顕子にかぎらず、あの「飛・び・ま・す」も、松任谷(荒井)由実の「ひこうき雲」もそうだけれど、「中・松」世代のファーストアルバムに、飛翔をイメージさす曲がしばしば含まれているのはおもしろい。少し後年になるが、中島みゆきも「この空を飛べたら」という曲を書いている。
学校等でよく合唱される有名曲、「翼をください」(赤い鳥)が1971年に発表されていて、あの詞の「空=解放」のイメージが、ひょっとしたら分かち合われていたのかも。
矢野顕子の渡米は、細野晴臣など男性ミュージシャンの、数年前のロス・レコーディングの縁で実現したものだった。
しかし、そのさらに前には、先述のように五輪真弓が、キャロル・キングらの協力をえてロス・レコーディングを行っている。
彼女のこれが、日本人が米国へ行き、現地ミュージシャンとスタジオ・セッションを行った端緒のようだ。当時、米国のミュージシャンは、みんなまだ「日本人=チョンマゲ」イメージであったと五輪は語っている。
そうした意味でこの世代は、「ウーマン」のみならずニッポン人というレベルでも、世界の扉を開けていく上で、リバレーションを担った人々なのである。
ところで――。
私はごく最近、音楽とはまったく異なる視点でも、この世代はちょっと特殊ではないか、くっきり「開拓者ライン」をなす一団なのではないかと、強く感じさせられた。
内容はとつぜん領域ちがいになるけれど、今までの話と密接にかかわるので、少しつけ加えたい。
いま日本で、知らない人がほとんどいないだろう人物の話でもあるから(乳幼児を除く)。
今をときめく「新宿の女」といえば、何といっても……
2017年のいま、「新宿の女」を代表する存在といったら、昨年8月から新宿都庁ビルでほほえむ、小池百合子・都知事をおいて他にない。
知事選の圧勝につづき、先月の都議会議員選挙でも、自らが率いる組織がすさまじい勝ちかたをした。
「新宿の女」の歌の内容が、ここではほんとうに性転換されたというか、21世紀の「新宿の女」によって、男の古参議員たちがたくさんポイ捨てされてしまった。
本人と関係ない、身内のとばっちりで倒れた方も、いたと思うが。
小池知事は、ここで言うところの「中・松」世代の人である。二つ違いの中島みゆきと松任谷由実の、ちょうど中間の学年にあたるようだ。
日本において、人心をつかむ上で、きわめてご利益がありそうな神仏に、サンドイッチされた時に生まれている。
「新宿の女」の元祖(?)、藤圭子とも、やはり一つ違いということになる。
歌ならぬ、政治の世界のトップといえば総理大臣である。小池氏は、自民党の総裁選で、20人の推薦人を集めて土俵へ上がったはじめての女性議員だ。そして、初の女性都知事。
小池氏より少し若いところに、やはり総理大臣への意欲をはっきり表明している、野田聖子、稲田朋美議員がいる。
やはりここでも、トップへ登らんとする女性が、「中・松」世代のところを皮きりに現れている印象なのだが、はたしてこれは偶然であろうか。
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