藤圭子と中島みゆき、両方が流れ込んでいる存在
話を歌の世界へ戻したい。実のところ、すぐれたシンガー・ソングライターたちのことを書きつつ、いつも頭でちらちらしていたのは藤圭子の名前であった。
「暗い歌→北海道の歌姫→新宿あれこれ」という、話の流れのせいでもある。
また、シンガー・ソングライターという点で、娘から親の才能を推測するのもどうかと思うが、仮に藤圭子がそうした道を進んだら、かなりの存在だったかもなどと想像したためである。
いま、自分で曲を作って歌う女性アーティストは、そうすることに何ら特別な感じをいだかないだろう。
しかし、そのような状況が今ここにあるのは、「中・松」世代が、ほぼ赤だった信号をみなでぞろぞろ渡ったことが端緒であった。
その開拓が、いくぶんデビューを容易にしたはずの存在の一人に、宇多田ヒカルがいるのはおもしろいことである。この人は、中島みゆきの後流にも立っているのだ。
先ほど、一人の歌手が長期間にわたって、トップ・ポジションを継続する記録のことを書いた。
たとえば、松任谷由実は、五つの年代にわたってアルバムが売上1位を達成した、日本で唯一のアーティストだといった話である。「五」などという長さを抜くことは、そうとう難しいだろうとも書いた。
しかし、ここに宇多田ヒカルという、歌ですごく光る存在がいる。
この人物は異常な若さにおいてNo. 1アルバムを生んだ。しかも、それが世に出た時期が、1990年代が終わるぎりぎり。
そのため、まだ30代前半にもかかわらず、すでに三つの年代でNo. 1にランクしたカウントになるようだ。あと3年で2020年ゆえ、30代のうちに四つめも可能な進みかたである。
もし松任谷由実のように、これを60代まで続けたりすれば……。
もちろん、非演歌系のポップスは、「ベテランになってなおトップクラス」というのが、いちばん難しいのだ。単純に、トントントンと計算されるような話ではない。
とはいえ、この人物は、熟年になり声が深みを増した時点で、「演歌」でヒットを出す奥の手だって十分可能なサラブレッドだ……。
まあ、記録目的で何かするなんてことは、なさそうなアーティストに見えるけれども。
宇多田ヒカルは、私などはやはり藤圭子・経由で見てしまう存在であるが、ほかならぬこの人が、「中・松」世代がもつ途方もない記録を抜くかもしれぬ歩みをしているさまには、ここにいろいろ書いてきた意味でちょっと感慨がわく。
それにしても、この種の記録を競う上で、男性アーティストは不利である。
まず、たとえば15歳といった年齢で、多面的にやたら完成度が高い曲を生むということが難しい。先述のように、特にこの年齢あたりで、ませ方、精神的発達度に、男女差があるためである。
「音」的な面はまだしも、とりわけ詞の面がそうだ。山崎ハコのように、17、8にして、その倍くらいの年齢を思わせる詞を書くといったことは可能でない。
多くの男子は、17、8で詞をつくるはめになると、15、6歳を思わせる詞を書くだろう。
加えて、高齢側でも、寿命の男女差からしてハンディを負っている。熟年以降に世界進出する、由紀さおりみたいな存在も見ない。
残念ながら男は、歌の世界において若年戦闘力と老年戦闘力を欠いているのだ。真ん中の、短いところで、ガツンと面目をほどこしてほしいものである。
15歳にして完成度の高い曲をつくるという話で、またちょっと思い出したが……。
山崎ハコは、最初のコンテストで「影が見えない」を歌ったときもらった、あの小さなお人形、その後どうしたのだろうか。ぜったいあわてて用意した賞品だろうと、私が確信するあれ。
さすがに40年以上たった今はもってないと思うが、すべての始まりになった記念品だから、しばらくは身近に置いていたことだろう。
まさかまさか、歌を口ずさみながら、ついコンコン、釘を打ったりしなかったでしょうね(^_^;)。
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