細長い国の東と西
先ほど、二匹の巨大な人気者に関係して、薬師寺の東塔・西塔の話を書いた。
あのとき、実は頭のなかにあったのは、東京と大阪だとか、日本の東と西といったイメージでもあったのである。
野球などのスポーツ、お笑い番組、歌番組などの対抗戦で、よくタイトルに付けられている言葉に、「東西対抗」というのがある。
このフレーズは、多くの日本人に、「見たい」欲求をちょっと増させるものなのだろう。
こうしたイベントがおもしろく、盛り上がる背景には、相互のそこそこの「対抗心」(巨人-阪神戦に生じるプチ殺気などが、私の脳裏をよぎる)と、日本の東と西が、何であれほぼバランスしている状況がある。
大和朝廷→鎌倉幕府→豊臣秀吉→徳川家康(中間はだいぶ省略)という具合に、日本統治の拠点が西、東をジグザグしてきた歴史が、こうした独特のつり合いを生んでいる。
列車で大阪から東京へ移動するとき、「上方(かみがた)」から、「上り列車」に乗るというふしぎなことになるのも、こうした日本史に関係している。
この方向を「下り」でなく「上り」へチェンジさせたのは、徳川家の誰かでなく、ほかならぬ西日本の人だったのだが……。
ついでに話は少しそれるけれど、昨年の大阪の府知事/大阪市長ダブル選挙で、私は一つ、次のようなことを感じた。
選挙前にメディアが行った世論調査で、当初、おおさか維新の会は市長選のほうは苦戦していたが、終盤、支持率をじわじわ高めた。
この様子に危機感を抱いたのだと思うが、在東京のメジャー週刊誌が、投票日の少し前に、「このようなとんでもないことをやってきた橋下徹を、それでも勝たせたりしたら、大阪は他から笑われるぞ」という、メディアとして「中央目線」な感じの、激しい批判記事を載せていた。
その内容は、選挙に関係ない読者というより大阪府民向けで、諭すように、愚かな選択をするなと言っていた。
私はそれを読んで、こうした大攻撃は、その意図とは反対に、効き目バツグンの橋下応援風じゃないかと思った。
この政治家を支えている大きな力の一つは、こういう「中央」的なものへの、不快感であろう。
風に例えたのは、おなじみの「北風と太陽」の、北風の吹きつけに何だか似ている気がしたからだ。そんな風を懸命に当てたら、むしろ人は服を着るだろという。
記事の指摘自体には、「なるほど」という点もあった。しかし、私が気づくくらいだから、大阪の人は、橋下氏個人どころか「大阪はまともじゃない」みたいな物言いを、あのときかなり目にしたと思う。
橋下氏が党名にしている「維新」が、具体的にどんな出来事だったかを思い出すなら、こういうコメントが、どんな効能の風になるかわかるはずだ。
ご存知のように大阪市長選は、投票日少し前には小差で競っていたが、最後は浮動票がどっと動いたのだろう、維新がかなりの差で勝利した。
因果関係を決めつけるわけではないけれども、私は昨年のあれは、もしかしたら、大阪の市長を東京が決めた出来事ではなかったかと疑っている。
(東からの風は北風みたいに冷たいとは限らず、自民党の総裁が、本来は直接の敵である維新の会にちょっと暖かい風を送っていたのも、今回の大阪の選挙ならではの珍しい出来事だった。
そういえば、自民党総裁の選挙区は、元祖「維新」発祥の地、山口県……)
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