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お寺とフェルメール

 今回の絵は、青だけでなくすべての色が鮮明になっている。しかし、実のところ、その色合いに最初から好印象を抱いたわけではない。
 今回の展示の第一印象は、率直にいえば、「何だか、安っぽいな」というものであった。「うそくさい」とさえ、思った気がする。

 しかし、絵をいくつも見て、その色彩になじんでくると、しだいに考えが反転してきたのだった。

 フェルメールがこのような鮮明な色を画布に塗るはずがないと、自分はなぜ即座に思ったのだろう? 彼は赤・青・黄のくっきりした対比を、もともと好む人でさえあるのに……。
 私は、自分が見慣れている「今のフェルメール」をもとに、知りようもない原初の絵についてジャッジしていたのだった。

 こんな感情を、抱いたことはないであろうか?

 何百年か前に建てられた、古いお寺の建物が、災害などで失われてしまう。
 やがてそれが再建され、建物の表面が、元来はそうだったという派手な「赤色」で塗られる。
 それを見て、たしかにきれいはきれいだけれど、何だか安っぽくなったとも感じる――。

 いま見る、古いお寺の姿は、当初の外観から大きく変化している。しかし、自分の知る(しかし実際には劣化している)外観のほうを、つい「ほんとう」と見て他をジャッジしてしまう。

 私が、くっきりした色をもつリ・クリエイト画を、即座に「安っぽい」と感じたのにも、どうもそうした反射的感覚があったような気がする。

 オランダの絵画を見つつ、そんな日本的なことを連想するうちに、むしろこちらの「目」、絵の見方のほうが、リ・クリエイトされた思いがしたのである。


 先ほど、フェルメールは三原色の対比を好む人だと書いたが、その典型的な作品を見ることにしたい。「牛乳を注ぐ女」である。
 これもおそらく、ほとんどの方が見覚えのある絵だと思う。



 人物の服が、上から「黄」「青」「赤」と、実にもろに原色である。この人が、ふくよかなせいもあるが、カラフルな三段がさねの衣服に、ちょっと「だるま落とし」を連想したりする。

 服装だけでなく、絵の左下にも、赤壺から青布にかけて、よく似た三色コントラストがふくめられている。この画家がしばしばテーブルに垂らしている青や赤の布は、明らかに「色彩」目的のものである。

 「牛乳を注ぐ女」の絵の魅力は、けっして色づかいだけではない。
 しかし、くっきりしたこれらの原色がもし無くなったら、この絵の最重要ポイント、牛乳の「白」もその印象的な輝きを失ってしまうだろう。

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