あれど見えなかった「門構え」
今回の展示をみて、個人的に、ちょっと頬をひっぱたかれるような思いがしたことを一つ書くことにしたい。
ここでまた三枚ほど、フェルメールの別の絵の「原画」を見ることにする。
上の絵同様、いずれもこの画家の黄金期に描かれた作品で、「天秤を持つ女」「窓辺でリュートを弾く女」「窓辺で水差しを持つ女」だ。
(なお、結果としてこの小文は、フェルメールの代表作のほとんどが登場するものになってしまったため、この画家になじみのない方には、彼の絵――ヴィジュアルな絵そのもの――を紹介する意味も果たすかもしれない。
すでにかなりの人気画家ではあるが、フェルメールに関心をもつ方が一人でもふえるなら喜ばしいことだ)
さて、今回の福岡フェルメール展(フルに書くと長くなるのでこう略させていただく)の会場を歩いて、私が何に驚いたかというと、先ほどの「青衣の女」と同じように、カンバスの左・右両側に美しい青色が配された絵が、そこにずらり並んでいたことである(上の三枚も、その一部だ)。
あたかもてんびんの両側で重りがバランスをとるみたいに、ラピスラズリ・ブルーが、絵の左・右でバランスをとっている。
この画家の作品を、同じような順序でならべた画集を、私はこれまでずいぶん見てきたが、このような共通性を意識したのは今回が初めてだ。解説や批評でも、そんなことを特記したものにふれたことがない。
それはむしろあたりまえなのである。青の絵の具が使われている部分が、しばしば、実際にはあまり青に見えないのだから。
上の三枚は、先述のように「青衣の女」と同じ時期に描かれたものだ(前後関係はわかっていない)。一枚ずつ、もういちど見ることにしたい。
まず、一つめの「天秤を持つ女」。これも、フェルメールの名高い作品だ。
この絵も、あえてそんな視点から見るなら、絵画「青衣の女」なのだと、今回の展示で思った(フェルメールは自分の絵に名前をつけておらず、いま使われている呼び名は、みな他者が便宜上つけたものである)。
左側の布だけでなく、右の女の服の色も濃紺なのだ。いわばこの絵では、「青い広い布」が、絵の左右で、天秤つりあいをしている。
しかし、上の原画では人物の服は、ほとんど黒に近い色に見える。
この天秤には、実際には何も載っていないということを、絵を拡大して調べた専門家がいるそうだ。
カンバスのど真ん中に天秤を描き、その両側で大きな青二つを美しくバランスさせる――リ・クリエイトされた絵を見ると、フェルメールのねらいは、実はそんな視覚的効果にあったのかもしれないと感じる。
また、青二つに挟まれることで、真ん中の天秤も、いっそうこちらの目をとらえるのである。
二枚めの絵(「窓辺でリュートを弾く女」)。これは、現在にいたるまでに特にひどい扱いを受け、損傷が激しいことで知られる絵だ。
この絵の場合、左上のカーテン、中央やや左下の布、右下のイスが、ほんとうは「青」である。イスは、先ほどの「青衣の女」の、左のイスと同じものだから、当然といえば当然なのだが。
ラピスラズリという貴石を使ったところさえ、絵の外観としては、ほぼ黒へ転じてしまう可能性があることを、この絵は示している(表面の汚れや、混ぜている他の顔料のせいだろうか)。
リ・クリエイト画を見ると、この絵の「左上と右下」、すなわち対角線ポジションに置かれた二つの「縦長の青」が、すぐに目をとらえる。
それは、左下の大きなイスなど「茶色」の物体が、みな茶色として復活しているためでもある(右上の地図も)。
上の絵だと、そのあたりは想像することさえ難しいのだが……。
この絵はもともと、茶系の斜めライン(絵画-リュート-茶イス)と、青系の斜めライン(カーテン-布-青イス)が、バッテンをつくっているような絵だったのだ。
もしかするとこの作品は、2015年時点の「青衣の女」くらい、色の配置やグラデーションが美しい絵だったのかもしれない。そんなことを思うと、「フェルメールのベスト作品は○○である」などと、簡単に決めつけることが虚しくなる。
三枚目の「窓辺で水差しを持つ女」。
この絵の場合、左右の端に青が配されていることを意識するのは、むろん上の二枚より難しくない。
しかし、リ・クリエイト画のほうを見ると、まん中の人物が両手に青い花束でもかかえているような、格段の華やかさを感じる。
左端のガラスが、上の絵よりずっと鮮明なラピスラズリ色をしていて、それを、やはり明度を増したテーブルの赤などがきわだてているためである。
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