色が鮮明な絵で見ると、この作品にはもう一つ、すぐ目が引きつけられる点がある。町のランドマークだったという右中央の教会の塔だ。
こちらはいわば「明色陣営の主役」であって、陽光のスポットライトを受けている。
この第二の主役とのバランスのため、二人の人物は左側に寄せられたのだと思う。
塔との関係でみると、二人の人物はもう少し右のほうがいい気がするが、実は当初フェルメールは、彼女らの右に第三の人物(男)を描いていて、気が変わって消したらしい。
最初はまさに、教会の塔と人物たちは、重りがつりあいようなバランスだったのだ。
やはりフェルメールは精密な天秤志向の人だなと、ちょっと可笑しくなる(晩年になると、あえてそれを外そうとしているような絵が出てくるが)。
天秤の話はさておき、要するに、ここにもやはり、あの印象的な「焦点」づくりの名人、フェルメールがいるのである。
彼は、人は三人より二人のほうが、より浮き立つと考えたのだろう。結局消された先ほどの「リュート」のように、最終的には海水と土の下へ塗りこめられてしまった気の毒な男が、どんな外観をしていたのか、知りたくてならない。
美のしもべの乱暴
街並みの絵であるのに、その上と下のことばかり書いてしまったが、横方向に連なっている建物群、舟、水面の細かな表情なども、むろん魅力に富んでいる。
これほどの腕前をもちつつ、フェルメールが風景画をほとんど手がけなかったことが残念に思われる。
もっともこの画家は、室内画が示しているように、種々の色彩パーツを自分の意志で適所へ配し、「これぞ」という構成の絵を描こうとする人だから、そうしたことができない風景画には、創作意欲がわきにくいところがあったのかもしれない。
いや、室内画のみならず、当の風景画からも、彼のそんな感覚が伝わってくるような……。
現代ならぬ、17世紀を生きた画家にあっては、町の建物を描くとなれば、見えるままに描く「写実」が常識というか、当然の前提であろう。
ところがフェルメールはこの絵で、縦横比を変えるなど、建物にいろいろ変形を加えている――のみならず、専門家(ハンス・コニングスベルガー)によると、美的効果のため、いくつかの建物を「移動」さえしているという。
その建物の持ち主が、絵を見るかもしれないことを考えると、これはかなりとんでもない話である.
日本のフェルメール研究の第一人者、小林頼子は「フェルメール論」という著書で、この画家が行った実景のさまざまな変形を、実にくわしく具体的に説明している。
それによれば、この画家は一ヶ所に腰をすえて建物を写生したのではなく、左右に移動したり、上下に移動したりしつつ、複数の視点からの見え方を合わせて、絵が美しい姿になるよう仕上げているという。
いろいろな角度からの見え方を、一つの絵に入れて作品をつくる――ちょっとピカソを連想したりする。
町の建物さえ、このように美的調整をして描く人であれば、自由に描いてもともと問題がない「雲」の形・色や、人の服の色合いなどは、当然、画家の意志で「これぞ」というものが選ばれていよう。
特に、絵の上部を覆っている、この黒い雲……。
フェルメールは、「光」を描く達人であるとしばしば言われる。実際、そのとおりだ。真珠の輝き、瞳の輝き、人物の顔を照らす光、デルフトの塔に差す陽光……。
しかし、いくら作品に鮮烈な「光」を含めたくとも電球なぞ埋めこむわけにはいかない絵画の世界にあって、「光」の使い方の名人は、実は逆に、「闇」や「暗い色」の使い方の名人なのである。コントラストによってしか、光は描けない。
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