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ロングヘアーのようなふしぎな布

 「真珠の耳飾りの少女」は、グイド・レーニというイタリア画家の絵を下敷きにして、描かれたのではないかという推測がある。
 この「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」という絵だ。



 若い娘がターバンを巻いた姿といい、ふり返った独特の姿勢といい、たしかに二つの絵はよく似ている。
 また、当時のオランダでは、異国の被りもの、ターバンがちょっとした流行にもなっていたという。

 実際どうであったかは、もちろん知りようがないのだが、二つの絵を見比べて思うことがある。

 上の絵の人物のターバンは、髪にただぐるり布を巻くという、私たちの目になじみのある普通のターバンだ(この人物がターバンを巻いている理由は、実はかなり特殊なのだけれど)。
 断熱や防砂などの目的で生まれたというターバンは、今も昔もこうした外観のものだろう。

 ところが、フェルメールの絵の少女は、髪を覆う一方で、あたかもロングヘアーのように、うしろに別の布を垂らすという、かなり不可解な格好をしている。
 遮光の布かといえばそうでもなく、ゆわえて下へ細くおろされている。
 邪魔なだけで、垂らしている意味が何もないような……。



 なぜこの人物は、こんなふしぎな姿で描かれることになったのだろうか?

 単に「当時、そのようなファッションがあった」というのが、正解である可能性もある。
 ただ、少女の頭部に、赤・青・黄がきっちりそろっているこの絵を見て、一つ思ったことがある。

 この三色のうち、色が「必然」なものというと、唇の「赤」である。リ・クリエイトされた絵を見ると、ここが口紅を差したように、鮮明な色をしていることを前に書いた。

 もしかすると、少女のこのふしぎな装いの起点は、「唇」だったのではなかろうか?

 少女の顔を、アップで描く。他の全身画とちがい、そこでは口もとに「赤」を、そこそこの大きさで塗ることになる。

 一方、この絵の目玉であるターバンをどんな色彩にするか? ほかならぬこの画家にあっては、「ラピスラズリ・ブルー」が第一のチョイスであろう(実際、そうであった)。

 「必然」と「ほぼ必然」によって、少女の頭部にこのように赤と青がならぶ。すると、もともと「3現色」志向をもつフェルメールゆえ、そこに何とか「黄」も加えたくなる――たとえばそんな経緯で、布がもう一つ、頭の後部に足されることになったのではなかろうか? 現実的観点でなく、美的観点から。

 あるいは、それゆえ、特定のファッションを「選択」したということかもしれないけれども。

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