奇妙な合作映画
「怪獣王ゴジラ」という映画タイトルを、お聞きになったことがあるだろうか? かなりのゴジラファンでも、この映画名は耳にしたことがない方が多いのではないだろうか。
「怪獣王」というフレーズを考えたのは、おそらく日本人ではない。アメリカ人が、現地でお客さんに人気が出そうなタイトルをつけた(”Godzilla, King of the Monsters!”)のを、ストレートに和訳したものであろう。
これは日本の映画として、史上初めて、アメリカ映画のメジャー配給網を通じて全米に流された作品であるという。
このような映画が存在するという話は、昔から私も耳にしていた。
すなわち、日本のゴジラ第一作に、アメリカの新聞記者がTokyoに立ち寄ったシーンを「付け加えて」、別の映画を作ったというのである。
そう聞いて想像したのは、「アメリカ人記者が状況を説明するシーンを、この映画の冒頭や終わりにちょっと足したのかな」、あるいは「その俳優があとで来日して、日本の出演者とのからみを追加撮影したのかな」といったことであった。
恐ろしいことに、この推測はいずれもまちがっていた。
もう一つ、とてもふしぎな話がある。アメリカにおいて「怪獣王ゴジラ」は、これが日本映画であるということをいっさい広告、看板などに表示せず、お客さんがアメリカ映画だと思って入るようにして、上映したというのである。
ある意味ではこれは当然の話だ。この映画がアメリカで上映された1956年は、日米間の戦争が終わって、まだたった11年しか経っていない時期である。アメリカ全土に、日本との戦争で家族を失った人々がおおぜい存在している。
堂々と「日本の傑作モンスター映画」なんて歌って映画上映するよりは、たとえ目を覆いたくなる駄作でも、日本以外の映画を上映した方がましだ。
しかし――ゴジラ第一作を見たことがある方なら、「あの内容をいったいどうやって、日本映画と言わずに上映するんだ?」「入館して観たお客、だまされたと言って怒らないか?」と思われることだろう。
ところが、結果としてこの映画は、当時のアメリカで大ヒットしたのである。そのあと日本のゴジラシリーズが、次々にアメリカの映画館やテレビで上映・放映され、成功していくほどに……。
先ほど、1998年と2014年の米版ゴジラは、実は、西洋の監督がメガホンをとった第二、第三のゴジラ映画であると書いた。
そう書いたのは、「怪獣王ゴジラ」の監督が、「テリー・モースおよび本多猪四郎」であるためだ。
さらに、この映画の主演は、新聞記者スティーブ・マーティンを演じている、カナダ人俳優レイモンド・バーである。
この人は後にテレビドラマ「弁護士ペリー・メイスン」「鬼警部アイアンサイド」に主演し、いずれも日本のテレビでも放映されたので、年配の方は「ああ、あの人」と顔が思い浮かぶだろう。
実際に「怪獣王ゴジラ」を見ると、米国での「追加撮影」の部分がかなり多い。映っている時間でいえば、バーはたしかに主演と呼ぶに値している。
この映画が非常に特異なのは、次の点である。
レイモンド・バー(および追加シーンの出演者すべて)は、映像を見るかぎり、この映画のために1回も来日してはいない。
一方、日本の俳優のシーンは、1954年に撮影ずみのゴジラ初作の映像がそのまま使われている。
にもかかわらず、バーは、ゴジラ初作の主な俳優たち(宝田明、河内桃子、平田昭彦、志村喬)の全員と、いろいろな場所でちゃんとからむのだ。問題の解決に貢献したり、ついにはゴジラに重傷を負わされたりする。
両者は、いかにして文字通り「時・空」を超えてからんでいるのか?
たとえば、河内桃子がカメラの方に顔を向け、セリフをしゃべる(これは1954年の映像を、英語に吹き替えたもの。セリフの内容は元と激変している)。
すると次に、河内桃子の背中が映り、バーがそれに向かってしゃべる。この河内桃子の背中は、服はそっくりながら、本人ではなく、アメリカにいる日系人かアジア系の人なのである。少なくとも日本人の目には、別人であることはすぐわかる。
バーと、志村喬や宝田明がからむ場面も同様だ(平田昭彦とからむシーンは、やることが、いっそうぶっ飛んでいる。後述)。
最初へ
前頁へ
1 2 3 4 5 6 次頁へ