しかし、過去の東宝ゴジラを非常に尊重しつつ、ハリウッドの圧倒的な映像創造力、エンタメぢからをプラスした今回のゴジラは、日本でも他国と同じようにヒットした。
思い入れが深いゴジラファンにも、おおむね好評だったようだ。日本でゴジラ制作の火が消え、10年が経ち「もしやこのまま……」感もあったいま、何と米国がこの大スターをよみがえらせたのだから当然だろうか。
日本と違い、あちらではゴジラのアニメや種々のコミックが独自に作られ、CMにも出るわで、いまも現役スターだったようだ。よほどアメリカ人の好みにフィットしたのだろう。
今回の映画をきっかけに、再び日本でもゴジラ映画を作ろうという気運も高まっているという。2014ゴジラをむげに全否定するファンがいたら、ほかならぬゴジラが怒って踏みつぶしに来るかもしれない。
この映画を見て、不愉快な気持ちになって仕方ないと思われる日本人は、武藤(MUTO)さんくらいだ。敵の怪獣にまで、なんだか日本的な名前を付けんでも……。
ゴジラはなぜグローバルなスターになれたのか
さて、この文章のタイトルは「国際スター・ゴジラの恩人」である。
わが国最大の国際スター・ゴジラにとって、今回の米版ゴジラの制作者たちは、むろんたいへんな恩人だろう。ゴジラは恐竜とちがい、撮ってもらってナンボの存在なのだ。
しかし、ここでぜひスポットライトを当てたいのは、いまから60年ほど昔、ゴジラの世界デビュー当時に存在していた、ある人々(とそれが生んだもの)なのである。
(ゴジラのことを「国際スター」と呼ぶのは、けっしておかしな話ではない。
たとえば、エメリッヒ版ゴジラの日米間契約では、100万ドルともいわれる高額の「ギャラ」を受け取って、ゴジラが米映画に「出演」するという形がとられたという。あくまで東宝が保有権をもつ、タレント扱いということだろう。
そうだとすれば、先ほど書いた東宝の怒りは、「おいゴジラ、あっちでお前ちゃんと撮影へ行ったんか? どう見ても、違うやつが画面を走り回っとったぞ」と、ゴジラへ向けられるべきだという気もするが……)
ゴジラは、そもそもなぜ、これほど国際的なスターになれたのだろうか?
そのルックスや、背びれを光らせて熱線を吐いたりするさまに魅力があったから? 円谷英二がいて、日本の特撮技術が卓越していたから?
それらはもちろん重要な要因に違いない。
しかし、後ほど、より時代が新しい、具体的な実例(アメリカの議員さえ揺さぶった)を挙げるが、キャラクターに十分な魅力があったり、すぐれた特撮技術が使われたりしていても、それだけで日本外で人気を得ることにはつながらないのである。少なくとも始点では、プラスアルファがいるのだ。これをあとで「黄金図式」と呼ぼう。
ゴジラが世界の人気者になる過程で、あるものの存在が、きわめて、きわめて大きかったと私は考える。
しかし、それが日本の誰かによって好意的に評されているのを、私は見聞きしたことがない。逆にバカにされたり、完全否定されたりしているのは、何度も見聞きしたことがある。
また、そこには至極当然の理由があるのだ。それはたしかに粗悪であり、非常に大切なものを欠いている。
けれども、もしそれが存在しなかったら、ゴジラはこんなにも世界津々浦々へ知られることはなく、今回の61ヶ国ナンバーワンゴジラも、その前のジラも生まれなかったであろう(こっちは、そんなに悪いことではないが)。
ハリウッドから高額のギャラまでもらえるようになったゴジラが得た恩恵と、その恩恵元に対する私たちの評価の無さ・悪さの間には、とてつもないギャップがある。
せめて日本人の誰かが、公共ネットの片隅にでもこのことを書かねば、申し訳ないと感じた次第なのである。
先ほど、1998年と2014年の米版ゴジラについてあれこれ書いた。
実はこれらは、西洋の監督がメガホンをとった「第一と第二」ではなく、「第二と第三」のゴジラ映画である(ただし大ものだけカウント)――それがこのあとの話だともいえる。
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