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ツブヤキ(2015/11/8):
 「ビール」「発泡酒」「第三のビール」の酒税が統一されるようだ。ビールの税が下がり、発泡酒、第三のビールの税が上がる。

 かつて、ふつうの「ビール」だけがあった時代には、値段のかなりの割合が税だと知っていても、何となくビールを、コーラ等より原料/製造費が高いモノのように感じていた。金色っぽい液体に、いくぶん黄金を感じていた。

 しかし、第三のビールなぞというものが出現し、350mlの缶がスーパーで百円ほどで売られ、自動販売機で買うお茶より安くなってみると、そんなに元手のかかるものじゃなかったのだということを実感。いちおう酒税が加わっていて、なおこのくらいなのか……。

 嗜好品の味に絶対の正解があるわけではない。各社の競争により、第三のビールにもずいぶん旨いものができて、もちろんちゃんとアルコール入り。

 こうなると、飲食店に貼ってあるビールの値段が、何だか昔よりも、ぼったくりに感じられてくる。ここでたくさんビールを飲むより、家で第三のビールをたんまり飲んだ方がいいや。どうせ2杯めよりあとは、味はそんなにわからないんだし……。

 飲食店は、税で値が張るビールで、ぼったくっているわけではない。しかし、店で出すビールを、安い発泡酒や第三のビールへ切り替えるというわけにもいかないだろう。
 今回の酒税変更は、飲食店業界からの要請にもいくぶん因っているのではなかろうか。


ツブヤキ(2015/9/17):
 魚の販売促進ソングでありながら、かつてNHK紅白歌合戦にまで登りつめた大ヒット曲「おさかな天国」(「♪ 魚を食べ~ると~ 頭が良く~なる~」という歌詞のあれ)が、いまもずっと流されている。

 一方、魚の売場のとなりの、肉の売場は、以前は無音であったが、同じ主役タンパク質として競争するかのように(納入業者的には、実際にライバル関係なのかも)、最近こちらも録音をずっと流すようになった。

 肉は魚とちがって、「魚を食べると頭が良くなる」「魚を食べるとからだにいい」といった学問由来の売り文句や、「好きだとイワシてサヨリちゃん~」的な魚名シャレが見つからないせいか、こちらの音声は「おにく、おにく、おにく、おにく~」と、しゃべりで「おにく」をすごく繰り返すものである。

 この「おにく」連呼は、「おさかな天国」のあの「さかな、さかな、さかな~」のフレーズに、たぶん心の深いところで触発されている。

 二つの売場の間に立ち、「♪ みんなで魚を食べよう~」&「おにく、おにく、おにく~」の声に挟まれると、どちらも若い女声なこともあり、「負けないわよ」と、バチバチバチッと火花が散っている感じがする。

 しかし、売られているモノの間では、これと正反対の火花が散っているのかもしれぬ。

 すなわち、牛肉や豚肉のタマシイは、「メインディッシュは今後ずっと魚にしろ! そうすれば我々は命びろい。あんたら、楽に頭が良くなりたくないのか!」と、皆で「おさかな天国」を合唱し、一方、魚のタマシイは、「日本人はもっとどんどん魚離れしろ。ウシやブタのほうが、小骨がなくて食べやすいだろ!」と、「おにく、おにく、おにく~」を連呼しているのではないか。

 魚を売る人と、牛や豚の思いは、「魚を選べ!」で一致しており、肉を売る人と、魚の思いは、「肉にせい!」で一致している。
 ふたつの売場の間で、人間と動物のタマシイの願望が、たすきがけのように交差している。

 あのにぎやかな空間に立って、そんな考えが頭をよぎったのは私だけであろうか?

 (「私だけであろうか?」という日本語フレーズは、ふつう、「いや、私だけでないはずだ!」という気持ちで発せられるのだが、この場合は珍しくそれから外れている。)

 この空間で「おさかな天国」を3回転ほど聞くうち、ふと替え歌が浮かんだ。

♪ あたま、あたま、あたま~ あたまを食べると~
♪ あたま、あたま、あたま~ あたまが無くなる~
♪ あたま、あたま、あたま~ あたまを食べると~
♪ からだ、からだ、からだ~ からだに良くない~


ツブヤキ(2015/8/17):
 先日、メジャーリーグで岩隈投手(マリナーズ)が、ノーヒットノーランを達成したというニュースが報じられた。
 印象に残ったのは、同僚の、メジャーを代表する大投手ヘルナンデスが、我が事のように大喜びしていたという話である。二人はふだんから仲が良く、キャッチボールでもペアを組んでいるという。

 貧打のマリナーズ打線をバックにしつつ、岩隈のメジャー通算成績は42勝22敗(8/17時点)で、ほぼ2勝1敗ペース。「キング」という愛称をもつヘルナンデスですら、平均勝率はこれよりはるかに低い。
 インタビューなどを読むと、彼は自分のように威力のある球をもたないのに、打者をすいすい抑えてしまうベテラン岩隈の投球術に、敬意を抱いているようである。

 このニュースに接して、思い出さずにおれなかった名前は城島健司であった。

 彼は今から10年ほど前、強打のキャッチャーとしてマリナーズに入団した。そしてそこで、投手陣、特に若手ながらエースになりつつあるヘルナンデスと、配球に関して対立した。

 城島の日本式の細やかなリードに、ヘルナンデスはまるで価値を見出さなかった。日本からのテレビカメラに面と向かって、はっきりそう言っていたほどである。
 「そんなチマチマしたやり方に、何の意味があるんだ」という感じだったのだろう。

 まあ私たちだって、野球の後進国と見ている国から、捕手が「日本球界挑戦」(「メジャー挑戦」みたいな意味で)に来て、なじみのない配球を強く要求したなら、こっちの超一流ピッチャーがどんな気持ちがするか、想像することはできる。

 城島は、盗塁阻止率やバッティングでは優れた成績をあげていたのに、リードの面で投手たちの支持を得られず、組むことを拒否されて出場機会を失ってしまった。

 「たられば」だけれども、城島捕手がいまマリナーズに入団したなら、状況はかなり違っていたことだろう。投手たちは、彼のリードに素直に従うか否かはともかく、彼が要望していることの意味や価値は理解したにちがいない。
 何しろ、そうしたきめ細かな投球術で誰よりも高い勝率をあげている、日本人投手が横にいるのであるから。

 ヘルナンデスは、投球のことでひどく対立した城島に、良い感情をもっていないかもしれない。しかし、仲のよい岩隈のピッチングを見ながら、「むかしジョージマがうるさく言っていたのは、こういう種類の価値だったのだなぁ」と感じているのではあるまいか。

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