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 かつて、メジャーのミネソタ・ツインズへ入団し、ショートを守った西岡剛選手が、併殺をとろうとした時に二塁上で激しいスライディングを受け、骨折・長期休場したことがあった。

 これは、既視感(デジャブ)のあるできごとであって、その前にも松井稼頭央、岩村明憲という、メジャーでレギュラーを張った日本人内野手が、同じような事故にみまわれている。
 やはり併殺をねらった二塁上で、走者のスライディングで足をやられ、長期の欠場に追い込まれたのだ。

 特に岩村選手は、じん帯断裂という重傷で、それまではチームリーダー的な活躍をしていたのに、そのあと成績が一変してしまった。

 またか――当時の日本の報道には、日本人は意図的に狙われているんじゃないかという書きぶりのものもあった。

 このあたりについて、西岡選手の負傷のとき現地にいたスポーツ・ジャーナリストの鷲田康氏が、事の本質を突いているように思われる記事を、雑誌に書いていた。それをちょっと引用することにしたい。

 氏が、西岡選手のホーム球場を訪れ、メディア用の入口を探していると、そこにいた警備員のおじさんが、親切に案内を申し出てくれる。
 そして道すがら、チームにとって初めての日本人選手であるニシオカが、いかにいい選手かを、一生懸命に説明してくれる。
 バッティングもシュアだし、何よりスピードがある。絶対に成功すると思った……。

 しかし、そのおじさんがふしぎに感じていたのは、なぜあんなごくふつうの併殺シーンで、ニシオカはケガしてしまったのかということであった。
 もしかして日本の野球には、併殺阻止のためのスライディングというものが存在しないのか?

 地元テレビの解説者の言葉もまた、これと同様であったという。
 ケガを負った際、ニシオカはその場で足をふんばったまま送球していた。走者は当然、内野手の足をねらって滑りこんで来るのだから、体を逃がし、ジャンピングスローなどすべきなのに――。

 要するにこの場面は、アメリカ人の目には(玄人にも素人にも)、併殺プレーにおけるそうした重要な「基本」を守らないがゆえに、起きてしまった事故にしか見えなかったのだ。

 しかし、日本の野球選手ほど、子供のころから基本がきっちりたたきこまれているプレーヤーがあるだろうか?

 もともと基本を大切にする文化があるだけでなく、米国の選手たち――学生時代、複数のスポーツをやり、プロ入りのとき初めて野球一つに絞ったりする――とは、反復練習の年期だってちがっている。

 鷲田氏は、日本人が次々に猛スライディングのエジキになってしまう原因は、単純にいえば、白人や中南米系の選手と、日本人選手の「身体能力の差」であると分析している。

 あちらの選手は、ジャンピングスローでも、上半身だけを使って軽々と速い球を投げられる。

 しかし、日本人選手は、きちっとふんばり下半身を使わないと、強い球を投げて併殺をとることができない。そこに、併殺阻止の激しいスライディングが襲いかかる……。

 むろん日本の選手だって、スライディングをかわして送球する動作など、当然身につけていよう。しかし、局面によっては、事は技術の問題ではなくなってしまう。

 ダブルプレーの二つめのアウト、一塁でのアウトのほうが、タイミング的にぎりぎりで、速い球を投げねばならないとすれば、日本人選手にとって唯一の選択肢は、ふんばって投げることである。

 そこであっさりあきらめたり、ジャンプして力の無いユルユル球を投げることは、「私は内野手としての能力に劣っています」と、他選手や観客にあからさまに表現しているようなものだ。
 どうしても点をやれない試合局面で、はたしてそんな選択が可能であろうか?

 いや、そのような頭での計算以前に、まさに長年の訓練によって染みこませている一連の体の動きというものがあるだろう。

 これが日本であれば、ぎりぎりの場面では内野手がみなそんなふうに投げる以上、走者側だって、相手の足をもろにスパイクでえぐるような滑りこみ方は、無意識にも避けていよう。
 平気で足をえぐり、相手をケガさせ続けたりしたら、球界から追放されてしまう。

 しかし、メジャーリーグにあっては、内野手のそうした「地に足のついた」投げ方のほうが、常識外・想定外なのだから、走者は思いきり足の位置へスライディングをしてくる。すると――。

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