昭和の末に生まれた人を、あたかも「タイミング的に気の毒だなぁ」と言っているかのような書き方を、先ほどした。
しかし、私の昔の思い出からして、実際にはそんなことは全然ないのだから安心されたい。
明治生まれの人が、まだたくさんおられたころ、「慶応」生まれの泉重千代さんは、マイナスのイメージを帯びるどころか、まさにそうした生まれゆえ、特別な価値をもつ存在に感じられたものである。
わずか数年の違いでも、明治元年生まれというフレーズに、こうした「歴史の生き証人」的ヴィンテージ感は漂わないのだ。身近に当時おられた、明治生まれの人々のお仲間という印象になる。
昭和の末に生まれた人は、「おじさんおばさんと同じくくりに入ってしまった。自分は十分に若いのにブツブツ」と嘆くことなく、ぜひとも泉重千代さんのような存在を目指してほしい。
ここで先ほどの10年間というスケールを考えてみるなら、昭和の最後の10年は、数千年の「日本史」上、世界で日本の地位がもっとも高かった期間ではないだろうか。
1979年(昭和54年)に、世界一の大国アメリカの学者が、「ジャパン・アズ・ナンバーワン(ナンバーワンとしての日本)」という本を著し、私たちのプライドをくすぐった。
日本ボメを目的とした書ではなく、副題「アメリカへの教訓」が示すように、むしろ米国の真剣な危機感から書かれた本である。
その10年後、昭和の最後の年は、日本のバブル景気がまさにピークへ達したタイミングであった。この10年間を前史と見る視点から、「平成はいかなる時代だったのか」を総括することもできるだろう。
令「和」、という年号の発表を見たとき、ここには、登り坂でフィニッシュした昭和の終わり部分をそのまま引き継ぎたい感覚があるのじゃないかとちょっと思った(一種の「平成JUMP」)。
選んだ方たちはみな昭和びとであり、心の底に、「あの昭和」への郷愁があったのではないか。
ついでに書けば、かの泉重千代さんが亡くなったのは昭和の末、1986年のことであった。
存命だったころ、私は種々の入会手続きなどで生年月日を書かされる際、年号にマルをつける箇所が単に「M・T・S」になっているのを見るたび、「泉重千代さんが来たらどうするのだ。ショックを受けるだろ。生きておられる間はK(慶応)も載せよ」と思ったものである。
まあ、泉さんは実際には、より後年の生まれではないかと疑う声があって、ギネスブックから名が削除されたりもしたのだが、それはそれとして。
年号「明治」のラストイヤー(1912年)に生まれた人は、いま107歳くらいだから、明治生まれの方は現時点でかなりおられるだろう。
最高齢は田中カ子――たなか かね――さん(116歳)であり、このところ3人連続で日本人が長寿世界一を保持しているそう。
泉さんが亡くなったころに比べ、経済はずいぶん沈んでしまったが、高齢記録にあっては今なお「ジャパン・アズ・ナンバーワン」なのだ。
やがて、年齢記入欄にRの字が加わるけれど、欄がせまくても、「前のほうの年号、カットしちゃえ」はよろしくない。
昭和の末生まれの人は、将来を見すえ、とりわけこうした暴挙を怒っておくべきだ。
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