と戯言を書きはしたが、実際のところ、移りゆく「年号」をめぐる種々の思いは、日本人だれもがひとしく順ぐりに味わっていくものだなとも感じる。自分が体験する「年号」がいつのまにか、ついに三つめに入ろうとする今、とりわけ。
たとえば欧米の場合、「時代」なるものを束ねようとしても、1980年代とか、90年代とか、機械的に「10年」で切り分けるのがせいぜいだ。
そのような切り分けをした上で、音楽でいえば「1950年代はプレスリーの時代」「1960年代はビートルズの時代」だったとか、ゴルフでいえば「1960年代はパーマーの時代」「1970年代はニクラウスの時代」だったとか、その期間を代表する人物が語られる。
最近は、この種の巨星が現われにくくなっているとはいえ。
10年という長さは、ひとからげに見てその特徴をポンと語っても、さほど無理はない長さ(というか、短さ)だ。
これに対し、「昭和メロディ」だの、「あのダンスの振り付けは昭和っぽい」だの言うのは、何という物言いであろうか。昭和は、親子三代がすっぽり収まるような64年もの期間なのだ。
にもかかわらず、日本人には違和感なく「ひとつの時代」としてとらえられる。
たとえば米国で20世紀なかばの60年ほどを切りとり、いかにもその時期らしいメロディだとか、ファッションだとか、社会風俗だとかを考えることは、その多様性からしてナンセンスであろう。
しかし、私たちが年号によってこの長さを束ねるときには、それが戦争(敗戦)と、国中が浮かれたバブル景気の両方をふくんでいても、ひとまとまりの何かに感じられる。
「年号」というものが、どれほど日本人の心を整理づけているかを、改元を迎えてあらためて実感せずにおれない。
「ひとくくり欲求」のフライング・スタートというか、私たちがまだそこを生きている「平成」さえ、これがずばりどんな時代だったかという総括を、すでにメディア――特に紙メディア――でたくさん見かけた。
こうした状況に対し、あるライター(30代半ばくらい)が違和感を記していて、私には盲点でおもしろかった。すなわち、ことさら「平成とは」と総括しようとする発想は、昭和の思い出をもとに平成の特徴を浮かび上がらそうとする、比較的高齢の人々の感覚だというのである。
これはまことにそのとおりであって、昭和の記憶があんまり/ぜんぜん無い40歳未満の人たちには、平成はその中をただふつうに生きてきた「世界そのもの」であろう。
「平成とはどんな時代だったのか」という総括をたくさん目にした事実は、平成が終わろうとする今なお、紙メディアがおもに「昭和びと」のメディアであるさまを映しているのかもしれない。
しかし、「令和」の世に入り10年、20年といった時が流れたなら、平成生まれの人たちも、いずれ必ずや「平成はこのような性格の時代だった」と特徴づけたい引力にさらされるにちがいない。
その意味で私がここに書いているのは、特定の世代の思い出話というより、これから生まれてくる「令和びと」もふくめ、日本人ならだれしも順番に味わうことになる何かなのである。
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