ひとからげの思い出
(2019/4/4)
平成の次の年号、「令和」が発表された。来月の1日から改元。昔をふり返って、ひそかに懸念していることがある。
44年という長さ続いた「明治」のあと、「大正」という15年間の時代があった。
これに似て、62年も続いた「昭和」のあとに、「平成」という、それよりかなり短い時代があった。
その意味で、いまは大正の終わりに似ていよう。ひとつ前に、「昭和」または「明治」という、非常に長く続いた年号があった。
私は昭和なかほどの生まれである。大正が短期間ゆえ、社会には明治生まれの人がおおぜいいた。
なにしろ明治の前、「慶応」生まれの泉重千代――いずみ しげちよ――さんの、長寿世界記録(その更新のさま)が、メディアでちょくちょく報じられていたのだ。
当時よく耳にすることがあった言葉が、「あの人は明治生まれだから、~」というフレーズである。良い意味の場合も、悪い意味の場合もあった。
良いほうは、たとえば「精神的にヤワでない」といった意味合い。医者で、ひどく痛いはずの治療を受けても、声ひとつあげない。「やっぱり明治の人は、がまん強いね」。
悪いほうは、たとえば「融通がきかない」といった意味合い。「明治の人にそんなことを言ったって、理解してもらえるわけないだろ」。
明治元年生まれの人と、明治44年生まれの人は、実のところ昭和64年生まれ⇔令和15年生まれ(未来人だが)くらい離れている。
平成30年間が、中にすっぽり入る世代差。両者、ものの感じかた/考えかたはどえらく違うはず。
しかし、時を下るにつれ、そのあたりひとくくりにされてしまう(要はこれが、表題にした私の「ひとからげの思い出」なのだ)。
また、「年配の人だから、こうなんだ」と見ればよさそうな場合でも、「あの人は『明治の人』だから、こうなんだ」という意味づけ/決めつけのほうが、何だか好まれる。
新年号のもと時が進むにつれ、かの「昭和」にも必ずや「明治」と同じことが起きるだろう。
1歳ちがいの人がいて、「ガンコ」という性格がふたり共通していても、片方だけ昭和生まれであったなら、「やっぱり、昭和の人だからねえ」「時代が人を作るってとこ、あんだよ」みたいに言われる。
昭和全体のイメージが、スッとそこでかぶせられよう。
「○○さんの家に行ったら、本の量がすごかったよ」「やっぱり、昭和の人だねえ」。
生年と関係なく、ただ単に当人が本好きかもしれないのだが、平成以前=「紙の本の時代」という一般イメージがきっと重畳される。
「昭和の人」というフレーズ、あと20年くらいたつと、社会でひんぱんに口にされる言葉になるだろう。
まだ生まれてない「令和びと」たちが、遠い将来何をしゃべるか予言するという大胆なことをしているが、たぶん当たると思う。
昭和の最後の年、昭和64年――といってもわずか7日間で終わった――に生まれた人は、物心ついたのち、「あのとき母の胎内で、自身初の根性を出してもうちょっと粘っておれば、SでなくHにマルを付ける身になれたのだ」とくやしい思いを抱いているかもしれない。
今月生まれている「平成生まれ」の赤ちゃんも、まさにこれと同じ状況にある。彼/彼女が、もし新年号「令和」のほうを好むのであれば、いまが君たちの踏んばりどきだぞ。胎内での。
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