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 ツイッギーブームからだいぶ経ってのことであるが、高校女子の制服がスカート丈の短いものへ、どんどん変化していった。
 あれは男性教師が「こうしましょう」と主張したせいでも、男子生徒の嘆願を高校が聞き入れたせいでも、まったくあるまい。

 女の子の場合、どの高校へ行くか考えるとき、3年間着る制服が魅力的であるか否かがけっこう重要なポイントであるという。

 長いスカートはヤボったく見え、肝心の女子の人気が得られず、学校は生徒が来てくれないと困ることが、あの変化の最大の原因にちがいない。
 冬の寒さといった、短さによる短所を超えてまで、あのファッションには魅力があるのだ。


 もちろん、私はハズキCMとの関係で、ネイルやミニスカートについて書いているわけなのである。

男女をどのくらい「同じ化」することが最良なのかの、落としどころ

 「私、作る人」「僕、食べる人」というセリフは、抗議でスポットライトを当てられてみると、たしかにアウト側へ落ちる気がする。

 他方、ハズキCMの「渡辺謙→書類」「菊川怜→おしゃれ」というあの違いは、役割決めつけ的というより、「くっきり見えると喜ばしい」あれこれのうち、美や華やかさの要素を女性に振ったという程度に、私には感じられたのである。

 もちろん、メガネをミニスカートで踏む場面(withアップ画像)は、おじさんが着想した感じがとてもする。

 ただ、「セクシー」という領域は、良い/悪いの線引きをすることが元来むずかしい。あるいは女性側のそれに関しては、男が論に加わる前に、女側で統一見解のようなもの(平均的見解でもいい)をつくってもらえまいか。

 たとえば、かつてウーマン・リブ運動を先導したアメリカは、女性の社会進出の点で日本より前を走っている。

 しかし同時に、舞台にセクシーなバニーガールがばば~んと現れ、華やかなりといった演出に、婦人から別に非難の声が出ない国でもある(日本のほうが、止めの声が出そうだ)。
 子供のころからそうした場面を見ており、むしろ多くの婦人に「機会があれば私もやったる」感があるためではないか。

 リオのカーニバルの女性ダンサーなども、布がきわめて少ない服装で踊っているが、「嫌々やらされている」「希望して参加している」のどちらかへ賭けろといわれたら、私は持ち金すべてを後者に賭ける。

 かのハズキCMの、きらきら輝くステージ。そこに立つスターが渡辺謙だったこともあり、私は米アカデミー賞の授賞式といった光景を連想した。
 ああした光の舞台へ登場する女性陣は、みな思いきり華やかさを競っている。だから、渡辺謙とおそろいで黒い衣装を着た菊川怜を、私はむしろ地味めに感じさえした。

 いや、むろんわかっています。あのステージ上の一番のスターは、白い「ハズキルーペ」なのですな。
 いわば、ウエディングの新婦みたいなもの。それに寄りそう菊川怜の衣装は、制約のなかの派手さだろう。


 将来、社会は、男も「身を飾る」方向へどんどん進んでいきそうな気配がある。そうした面では、男女の差は小さくなっていくかもしれぬ。

 ただ、肩や背をあらわにした服や、毛深い足をぜんぶ出す短パンを男が着用するといった方向を、一般に女はすごく歓迎するものなのか。

 むしろ、それとは逆の発言をしばしば耳にする。
 男らしい胸毛や濃密すね毛を、女が本気で嫌がるのを聞くとき、あるがままにおいて「美」は対称的でなく、女側にかたよって存在している気がするものである。

 ゾウが踏んでもこわれぬあの筆箱は、「アーム筆入」であって、「アーム男の子筆入」ではなかった。けれども、CMに刺激されてこれを買った(あるいは踏んでみた)のは、私の知るかぎり男ばかりであった。

 女の子は、筆箱が異常に頑丈であるといったアピールに、あまりピクッとならない。時代が変化しても、多くはかわいい筆箱のほうにひかれることだろう(人気色はたぶんピンク系)。

 このような男女のちがいは、完全な男女平等社会に至っても変化しない気がする。


追記1:ハズキCMのあと、このイス場面のパロディが続出している。私がもし、ハズキのライバル社にいたら、テレビCMにオードリーを起用したい。
 そして、ルーペを置いたイスの上に座らせ、さんざん揺らしてイスがバキッとなったあと、「でも、ループはこわれていません」と笑顔で言わせる。

 あるいはいっそ、ルーペをアフリカゾウに踏ます。
 よりインパクトあるCMにしたければ、ゾウをミニスカート姿にしてもよい(意味はないが、インパクトに意味は不要である)。

 もっとも、そのようなルーペを開発することがまずたいへんだが。

追記2:前回、日産を復活させたカルロス・ゴーンについて書いたら、何と今月、日本で逮捕されてしまった。失脚ならまだしも、逮捕って……。
 想像だにしない出来事とはこのことである。
 「絶対権力は絶対に腐敗する」の典型かもしれぬが、それでも日本の産業界に恩恵のほうが多かった人物と思う。

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