「ウルトラ」シリーズ出発点がもっていた怖さ
「ウルトラQ」を起点とする、「ウルトラ」シリーズもまた、始まったころはホラー色を強くおびた番組だったのである。
このシリーズのなかで唯一、「ウルトラ」の名が冠されていない作品に、「怪奇大作戦」という伝説の名作がある。
中身じたいは、「ウルトラ」の形容がぴったりなものであり、いまならぜったい放送が許されない内容をふくんでいたりもする。
このTBSのドラマの続編を、平成に入って、なんとNHKがつくったのには驚いた。民放の人気ドラマの続編をNHKが制作したという事例は、これが唯一ではないのだろうか。
トラウマに近い印象でこれが心に刻まれている誰かが、NHKのなかにいるんだろうなあと思ったものである(続編がつくられたころ、40代半ばあたりの人と推定)。
この「怪奇大作戦」や、先ほどの「妖怪人間ベム」が制作された1968年は、ロメロがゾンビ映画の初作をつくった年だ。太平洋の両側で、怪奇名作の当たり年だったのである。
ウルトラシリーズは現在、どれもさほど違わないかっこいいウルトラマンを続けているのじゃないかと思うが、マンネリにもなろうし、たまにはシリーズ原点に帰って(「帰っていくウルトラマン」)、ホラー色に満ちた作品を一つ挟んではどうだろう。
たとえば、「ウルトラマン・ゾンビ」とか。
頭の中身が少し見えちゃっているウルトラマン。
作品の全体バランスのため、相手の怪獣や宇宙人は、そのぶんみな愛らしいキャラにする。
ウルトラマンのエネルギーが切れ、倒れたぞと怪獣がキャッキャ喜ぶと、こんな(\(^o^)/)感じでブキミによみがえってくる。さすがにいけませんか。
不惑の年を過ぎても、うなされる
ウルトラシリーズ初作の「ウルトラQ」が、まさしくド級の番組であったことを、四十数年の時をへて、思い知らされる出来事があった。
そこに記されている情報から、当事者は私と同い年くらいだろうと想像され、読んだあと恐怖(と笑い)を禁じえなかった。
それは、「夫がケムール人を恐れています」という、2010年の、主婦のネット書きこみである(今も見ることができる)。
その記述によれば、夫(書きこみ当時40代後半)は、体育会系で、日常生活では怖いもの無し。
それが、風邪をひいて寝たとき、夜中に夢でうなされて、目を覚ます。
「ケムール人に追いかけられた……恐ろしい」
「怖い夢には、いつもケムール人が出てくる!」
見ていて、気の毒でたまらないという。
ケムール人というのは、「ウルトラQ」に出てくる、人間と同サイズの宇宙人である。
顔は何というか、モチがひからびて、縦横にランダムにひびが入ったような感じ。そのミゾに沿って、目玉が横に動く。
からだは、大むかしの潜水服を着た人みたいな姿。
この宇宙人が、サイレンを鳴らしてこれを追うパトカーの前を、優雅に「フォッ、フォッ、フォッ」と笑いながら、スローモーション的に走るのだ。
この映像が怖い。
まだ技術が低い時代の、不自然きわまりない合成映像が、かえって異世界感をかもしだす。
終始笑っていることで、場がなごむのでなく逆に怖いさまは、黄金バットにも似ている。
当時は家庭にビデオ装置などなく、映像を見返すことができないので、やたら怖かった印象だけが子どもの脳内で増殖するのである。上に書かれている人もそうだったのだろう。
この男性の、気の毒なトラウマの原因は、大元をたどっていくなら体操の山下治広選手である。
この人の、東京オリンピックでの凄すぎるワザが、実況アナウンサーに「ウルトラC!」と叫ばせ、その言葉から「ウルトラQ」という番組が着想され、「ケムール人」というキャラが考案されたのである。
2020年の東京オリンピックが、同じような悲劇を生まないことを、祈らずにおれない。
先ほど書いたように、40年という時間は長いようで、人間の心の深部をそんなに変えないものなのだ。
ウルトラQ放送からじつに44年後(=2010年)、50歳近くへ達してまでケムール人にうなされる人は、たぶん70歳になってもうなされるだろう。
亡くなるとき、最後に脳にうかぶ映像がケムール人でしたという可能性もある。
ものすごい仕事したなあ、当時のTBSは。
あるいは、前回の東京オリンピックの山下治広選手は。
「ウルトラC」は実のところ、このような形でもまた、ずっと生き続けているのである。
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