広い世代におなじみの、藤子不二雄の漫画に、「怪物くん」というのがある。この作品には、フランケン、ドラキュラ、オオカミ男という怪物トリオが登場する。
フランケン+ドラキュラ的な性格をもった「ゾンビ」が、インパクト的にややマンネリであるとするなら、そこに「第三の男」もプラスしてみてはどうだろう。
すなわち、ゾンビが夜、月の光をあびると、全身から毛を生やしてオオカミ男に変身するのだ。
誰もまだ、世界でこんなワケのわからない変身は映像化してないと思う。
この男の名前は、「怪物さん(3)」。
これは、「おそ松くん」→「おそ松さん」の時代をこえた成功をヒントに、赤塚&藤子のフジオつながりで、「怪物くん」のスピンオフを考えてみたものである。
かつて、藤子不二雄のふたり&赤塚不二夫が、一つ屋根の下で暮らしていたことも、いまはあまり知られなくなっているのだろうなぁ。
仮面ライダーの生みの親までそこにおり、その少し前には、鉄腕アトムの生みの親までいたのだ。
古のトキワ荘こそ、真に怪物屋敷であった。
ゾンビがオオカミ男に変身するという上の設定は、けっして滅茶苦茶な発想ではありませんよ。もしオオカミ男がゾンビに噛まれたら、こういう怪物が出現することは必定なのである。
噛まれて永遠(とわ)へ
ゾンビが目の前に現れると、映画のなかの人々はみな、逃げるか、やっつけるかと考えている。
しかし、不老不死をねがう人などは、むしろ彼らに積極的に噛んでもらったほうがいいかもしれない。
食べ物がなくてもずっと生きられ、働く必要もなく、病気の心配も消え、仲間間の争いも一切なくなるのだ。人間くさい偏見を捨てるなら、理想郷への進化かもしれぬ。
「道」をとことん極めようとする、こういう人物のお話はどうだろう。
たとえば、盆栽の愛好者の、いちばんの悲しみは、木の成長が非常にゆっくりなのに(何しろ千年も生きる生物だ)、人生が短すぎることであるという。
イメージする木の姿を目にできる前に、育てる側が亡くなってしまうことも多い。
そこで、盆栽道を極めんとする男が、不老不死を求め、ゾンビをさがして世界を旅する。
艱難辛苦の末、ついに発見し、襲いかかって噛んでもらう。
そして心ゆくまで盆栽を楽しむという、ゾンビものでは珍しいハッピーエンドの物語。
盆栽道の「バカ一代」を描くこの作品のタイトルは、ずばり「ボンサイ・バカボン」。
これは、赤塚不二夫と同じビルで仕事していたことがある、つのだじろうの名作漫画「空手バカ一代」にヒントを得たものである。
ちなみに、バカボンのパパの職業は、植木屋だ。それゆえ、こういう子供が生まれてきてしまうのである。
バカボンパパの生年月日は、昭和の名コメディアン、植木等ときっかり同じに設定されていて、パパの職業設定は、おそらく植木等から採ったのだと思う。
個人的な思い出話をはさんで恐縮だけれど――。
(まあ、すでに話は雑談化しているのでいいだろう)
小学生のころの、いわゆる父母参観日の時のことである。
算数の授業だったか、国語の授業だったか忘れたけれども、先生が、「等しい」という言葉を使って何か言ってごらんなさいと言った。
わりと積極的児童であった私は、まっさきに手をあげ、「植木等!」と答えたところ、教室の後ろの父母にすごく受けた。彼が大活躍するテレビ番組、「シャボン玉ホリデー」が放送されているころだったのだ。
それ以来、私は植木等に、なんとなく恩義を感じている。
「ひとし」といえば、昔からちょっと気になっていることがある。
現代のお笑い界を代表する人物の一人に、松本人志がいる。
「人志」というのは、かなり珍しい名前である。
この人が生まれた年は、ちょうど植木等が、スーダラ節や「無責任」映画シリーズで大ブレイクしていた時期にあたっている。
別にそこから名をとったわけではないにしても、このとき一世を風靡中だった「ひとし」というサウンドが、名づけた人の頭に何となくあったということはないのだろうか。
苗字の、松と植木が、そもそも親和的である。
もし、かすかにでも関係があったなら、お笑い史的に、これはなかなかすごいことと思う。
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