前にも書いたけれど、私は「おそ松くん」の次は、「天才バカボン」がねらい目だと思う。
今もあの、無名だが有名なパパを、衣料品や広告などでしばしば見かける。顔じたいに、問答無用の魅力があるのだ。
その辺を踏まえ、提案なのであるが、来年あたりどこかの局で、「シン・天才バカボン」という、二匹目のドジョウ作品をつくってはどうか。
赤塚ものに関しては、ど・パロディで、くだらなく、ふざけていればいるほど勝ちだと思う。
庵野監督も、この相手なら、怒るより喜ぶだろう。
この「シン・天才バカボン」というタイトルは、実のところ、過去のバカボン・アニメのタイトル史を踏まえたもので、「天才バカボン」→「元祖・天才バカボン」→……という流れを受け、ここで「シン(真)・天才バカボン」を掲げることで、より真実へ迫っていこうという求道的な題名なのである。
たとえば、赤塚不二夫が作詞した名曲「元祖天才バカボンの春」――この歌で、パパの年齢が41歳であることが明かされた――を復活させるなど、原点を熱くリスペクトする一方で、あのおやじを時どき3D
CGで描くなど、「新」の要素を導入する。
「真・ゴジラ」という言葉に庵野監督がこめた思いは、日本こそゴジラ本家なりということだと思うが、これは「元祖・天才バカボン」がつくられたときの、赤塚不二夫の思い(前作への不満)に近いだろう。
あるいは――より強欲な、ドジョウ全すくい的タイトルとして、「君の名はシン・天才バカボン。」というのも考えられる。
バカボンと、天才であるハジメちゃんの心が入れ替わってしまい、バカボンが「真の天才」になるという筋書きはどうか。
3横綱そろい踏み的タイトルなので、子どもから年配者までがチャンネルを合わす(昭和的な言葉)、第二の「サザエさん」になるかもしれない。
「君の名は。」といえば――。
大ヒットし、ことし数かぎりなく目にした、このタイトル、私は虚心に見ると、相手の名前が「。」(マル)だという情報に思えてならないのである。
「は」の次に、とつぜん句点が来ると考えるより、自然な読み取りではないだろうか。「。」なんて字、役所が名前として認めるかどうか知らないけれども。
この、「。」=人名というイメージから、ドジョウすくい(あるいは第二のお茶煎じ)の思いつきが、さらにコロコロ転がっていく。
NHKの大河ドラマ「真田丸」が、今年やはり人気を博した。そのあからさまなパロディとして、「真田。」(さなだ まる)というのはどうだろうか。
番組表の深夜欄に、ぽつり「真田。」という字が書かれていたら、私なら、1回は見たい気持ちを抑えられない。
字をながめているうち、つい、長編ドラマとしての筋書きも浮かんできてしまった。出世ものだ。
親に、ふざけて「。」(まる)という名前を付けられ、役所の人もみな冗談好きだったので登録されてしまい、その怒りをバネにした主人公が、最後は日本国総理大臣へ登りつめるという物語である。
終盤のクライマックスでは、総理のイスをめぐって、「徳川角栄」という強力なライバル――ここで、昨今の角栄ブームも取り入れる――と、「角丸」紛争という争いになる。
そこで、真田を支える政治家十勇士(猿飛佐助や霧隠才蔵の子孫)が大活躍するのである。
こちらにも、なんと堺雅人がそのまま主演し、それをNHKが黙認するなんてことが起きたなら、日本は大丈夫だろう(どう大丈夫だ?)。
あるいは、今回のテーマに、よりフィットしたタイトルとして、こんなのも考えられる。
同じ大河ドラマのタイトルに、点をぽつりと足しただけの、「真・田丸」。
これは芸能界を扱ったドラマで、主人公の名は「田丸大周」というのだ。
強引に事務所を独立した彼をつぶそうと、事務所の社長が「新田丸大周」というタレントをデビューさせる。田丸は自分こそ本物なりと、「真田丸大周」へ改名しようとする。
ところが、事務所はすでに、その名を商標登録していて(ほかに、「東京田丸大周」、「溜まる体臭」など36個を登録)……いや、もうよそう。
出だしは、政府の要人たちが推奨する映画の話だったのに、何という竜頭蛇尾な展開であろうか。
バブルの乱痴気騒ぎや、うそ猿人や、赤塚不二夫のことを回顧したのがまずかったなあ……。
(そういえば――まさかそんなことはあるまいと思いながら、つい書くのだが、「君の名は。」の新海誠監督は、その前に海誠監督というのがいて、対抗して出てきた人ではないのでしょうな)
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