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栄光、そしてその時代の後の……

 写真のなかでの独自性の話は置くとして、英国で40年近く前に首相になったサッチャー氏と、新大陸のアングロサクソン末裔の国でこんど大統領になったトランプ氏に、私はさまざまな共通点があるように感じる。

 まず、二人とも、多様な意見に気をくばって落としどころを見つけるといった「調整型」リーダーと対照的な、周囲との摩擦を恐れない強烈な「私についてきなさい!」タイプであること。

 たとえば、サッチャー首相は、悪口の意味あいで「鉄の女」と名づけられたことを、かえって喜んでいたという。この人の改革断行ぶりから、腑に落ちる話といえる。

 それから、一国のトップをめざす存在として、非常に、非常に「異端」であったこと。
 もちろんこれは、「前例とまるで違う」という意味であり、サッチャー首相の場合はただ先駆者と呼ぶこともできよう。

 トランプ氏は、さまざまな過激/差別発言をおおっぴらにしただけでなく、政治家経験、公職経験いっさいなしに大統領になったという点でも、前代未聞の存在だ。

 そうした経験がゼロの人が、いきなり国のトップになる。
 たとえば日本で、自治体トップはおろか市会議員もしたことがない人が、明日から総理大臣をしますという事態を想像してみたい。

 もちろん日本は議院内閣制なので、システム的にこうしたことは起きないのだ。しかし、公職の実質を知らない人がいきなり国をひきいるというのは、質としてはそれと同等のことといえる。

 摩擦を気にしない姿勢や、前例なき存在であることが人々に生む抵抗感にもかかわらず、トランプ氏やサッチャー氏が勝利できた背景には、当人の力だけでなく、選ぶ国民側の「特殊な状況」もあったと思う。

 トランプ氏は当初、共和党の代表候補にも、絶対なれるはずがないと言われていた。本人も、「実際に最後まで行けるという読み」とは、別の目的で立候補したところがあったのではないか。

 その意外な当選で明らかになったのは、生活や国の現状に非常に強い不満、不安をもつ人が、大きな割合で存在していたこと、そして彼らが、前例から見たら異常であれ少なくとも「大きな変化」をもたらしそうな人物でなければ、その状況を変えられないと感じたということである。

 サッチャー氏が首相になったときの英国の状況も、これに似ていた――どころではない、いまの米国より数段わるかった。

 「サッチャー以降」の変化を知りえないあのころの目には、「英国病」「ヨーロッパの病人」と呼ばれたその状況は、いくつもの悪循環で、不治の病のように見えた。
 大英帝国の栄光ののち、先に光が見えないこうした下り坂へ陥った当事者(英国民)の危機感は、非常に大きいものだったろう。

 日本で、女性首相候補の一人といわれている人物がむかし、「平時に女が首相になるのは難しい。私たちにチャンスが回ってくるのは、危機的な状況のときだ」といったことを語っていた。

 お金の問題などで男のトップがしくじり、清新な風が求められるときや、火中の栗をひろうような場面でないと、可能性は薄いと感じているという。

 サッチャー氏にしても、むろん結果が証明するように実力ある政治家だったわけだが、因習というのはいつもそれなりに堅固であり、この人が先進国初の女性トップになった背景には、上に書いたような意味で「時を得た」面もあっただろう。

 そのような意味で、私はサッチャー/トランプ氏の登場に、共通した空気を感じてならないのだが――さらに、ここでもう一人、別のよく知られた人物(大統領)の名を、この二人へ付け加えてみたい。

 トランプ氏と、政治的にも人間関係的にも、長く互いに非難しあってきた人物であるため、結び合わすのは奇妙に思われるかもしれないが……。

 その名前とは「バラク・オバマ」である。

 私は、こうした遠くおかしな橋わたしをすることで、今回の大統領選の「意外な」結果が、必ずしもそう意外なものでなくなってくると考えるのである。

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