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都道府県のるつぼ

 ニューヨーク=「人種のるつぼ」という言い方になぞらえると、東京は「都道府県のるつぼ」である。
 東京は、少なからぬ割合で、近畿でも、東北でも、中部でも、北陸でも、(長くなるので略)……ある。

 大阪には「東京嫌い」の人が小さくない割合でいるが、私は、現時点の「東京の人間」なるものは、実はかなり関西人、西日本人でもあるのになぁと感じる。

 「うちはずっと東京で」なんていう人は、この地で完全に少数派。そうした生粋の東京人もまた、わがまちの混雑・密集の進行には辟易していよう。

 何がいいたいかというと、この地の集中をゆるめ、他の地へその機能を分散させることに賛成である人が、当の東京じたいにも多いだろうということである。

 いわゆる中央官庁にしても、大学からだったり入省からだったり様々だろうが、全国から集まった人で構成されている。

 今の政界トップもまた、首相の選挙区は山口県、民主党の岡田代表は三重県、剛腕と言われる官房長官は秋田県出身……首都の集中緩和に、意欲をもつことはあっても嫌悪感を抱きそうな人はいない。

 民主党などは、地方分権を施策の1丁目1番地と位置づけている。
 日本第二の大都市・大阪で、街を二分した両陣営もまた……。

 「ふるさと納税」という制度が生まれたけれども、これを初めて耳にしたとき、地方活性化策としてむろん冷静に考えられたしくみだろうが、このような名称は、東京以外にルーツをもつ「中央」人の、故郷意識が思いつかせたものかもしれないと感じたりした。

 私自身、先祖をたどると、片側は大昔から東日本ながら、もう片側は西に連なるようだ。薬師寺で東塔と西塔が二つならぶさまに、何だかひかれるのはそのためかもしれない。

かつて圧倒的にジャイアントだったけれど……

 先ほど、「強さと人気による好循環」のみが存在するように見えたジャイアンツが、いまはだいぶ背の小さい巨人になっていることを書いた。

 ひいきのチームが、つねに他より格段に強いことをどうしても望むなら、他チームがすべて少年野球レベルといったリーグが理想の状況になろうが、そこに野球の楽しみは生まれまい。

 こうした発想の対極に立っているのが、米国のメジャーリーグである。その時点で弱いチームをパワーアップさせる、強力なしくみが設けられている。

 北米に広く分散する30の球団にあって、少し前までまるで弱小だったところが、ふと見るとワールドシリーズまで勝ち進んでいるといったことが、よくある。

 地区ごとの球団順位表を、上下ひっくり返すと、数年前の順位表とそっくりじゃないかという思いがしたことが、何度もある。
 人気と資金力を兼ねそなえたニューヨーク・ヤンキースが、めったに全米の頂点に立つことができない。

 格差をきらい、横並びを善とする、社会主義国の話ではない。自由主義をけん引する米国で、このような力の平準化のしくみが考えられ、採用されているのだ。

 球界のこの状況はまた、米国の象徴のような都市ニューヨークが、あらゆる領域で他をしのぐわけではなく、個性と活気に富んだ多くの都市が全米に広がっている光景と、ダブって見える。


 わが国のジャイアンツに話をもどしたい。

 半世紀ほど前のこのチームの、何から何まで有利感(あるいは、パ・リーグチームの何から何まで不利感)をふりかえって思うことがある。

 それは、その時点で種々の事実を思い浮かべて、どう考えてもこの状況は変わりっこないと感じても、現実のなりゆきは案外そうでないものだということだ。

 あのときのジャイアンツと比べたら、私はいまの東京のほうに、自分だけが力をもち、地震でも食らったら助け手が見当たらぬほど絶対者ではないありようへ移行する、可能性をはるかに感じるのである。

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