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ツブヤキ(2014/4/13):
 先日、南極での調査捕鯨をめぐる裁判で、日本が完敗するというできごとがあった。

 これは、豪州が国際司法裁判所に訴えていたものだったが、たまたまその少し後に、オーストラリア牛の輸入関税の大幅引き下げというニュースがあったので、あらためて、ウシとクジラ、あちらの目にはなぜそんなにも違うのだろうと思わされた。

 ヒトのように、手や足を持ち、時に涙を流したりもするウシにしたら、コウモリみたいな生き方をしているクジラやイルカが、これほど特にヒイキされる状況には涙目であろう。

 反捕鯨論者の、多くの立場は、「絶滅の恐れさえなければ獲ってお食べなさい」ではないのだから、合理性・説得力に欠け、多分に感情的なものに思われる。

 ホニュウ類のなかで、ウシやブタだけ動物愛護から外す理由を、たとえば他星人でも納得するよう述べられようか? 「古くからの慣習」と言うしかないであろう。

 しかしながら、こっちはこっちで、理性は「そんな言い分は合理的でない」と告げるものの、「クジラを食べられなくなるなんて、耐えがたい!」という、強い感情の突き上げが、どうも乏しかったりする。わが国の伝統文化としては、むろん大事に思うのだけれど……。

 同世代の友人たちと、とある飲み屋に入ったとき、メニューにクジラの刺身があり、「これは珍しい、もはや二度と食べる機会はないかも」と注文したところ、私以外はほとんど手をつけず(皆、食べたことが無いせいではなく、食べたことが有るせい)、一人でほぼ全部食べるハメに陥ったことがある。

 学生時代、修学旅行先で夕食にすき焼きが出て、みにくいまでの牛肉の奪い合いになったのとは、正反対の思い出だ。
 ちょっとくやしいが、オーストラリア陣営は、実効性を有する押しどころを押していると思う。

 反捕鯨論で、よく語られていることの一つは、「あんな知性ある動物を食べるなんて、とんでもない話だ」というものだ。しかし、ウシが思いのほか賢いことが科学で判明しても、とたんに食べるのをやめたりはしないと思うなあ。
 突然、おいしくなくなれば別だけれど。

 他動物のことはさておき、ほかならぬ人間が、理性より、感情の駆動力に大きく左右されている気がする。


ツブヤキ(2014/3/14):
 今年は東日本はたいへんな雪でしたね。
 遠いむかしですが、私が子供のころは、大雪地域でない東京でも、空き地に積もった雪で友だちと時々「かまくら」を作っていました。

 日本が全体的に「温帯」より「亜熱帯」に属しつつあると言われるこのごろ、そんな光景はもはやありえない――と思っていたら、かつてを上回るような雪が一度ならず二度も降るとは。

 しかし、子供たちも、毎冬おなじみの遊びになっていないと、厚く積もった雪を見ても「いざ、かまくら」の熱情はわかないようで、白い小山は見かけず――。あのなかへ窮屈にもぐりこむのは、なぜだかとても楽しいのですが。

 もっとも、大雪に対してシロウトの土地では、たまにあんなのに襲われるとトラブル続出で、楽しいよりは「困る」のほうが先に立ちます。

 どうでもいいことだけれど、鎌倉の子供たちは、真っ白になった街を見て「かまくらを作ろうぜ」と言うとき、どんな心持ちなのだろう?

 かまくらを作るといえば――むかし学校では、鎌倉幕府の成立の年号を、「いいくに(1192)作ろう鎌倉幕府」と暗記させたものでしたが、今世紀に入って学説の主流がかわり、いまは「1185年成立」とされているとのこと。

 多くの教科書が「1192年成立」の記述をやめたのは、平成19年ごろ。私たちが年号なぞ暗記するのはせいぜい18歳くらいまでなので、これはほぼ昭和/平成生まれを分断する常識のちがいといえるでしょう。
 1185年は、壇ノ浦であわれ平家が滅ぼされた年でもあるんですね。

 かの源義経が死んだのは1189年ですから、彼の死は「平安時代」の出来事から、「鎌倉時代」の出来事に変わったことになります。
 むろん、あくまで後世の便宜的な切り分けですが、「義経、鎌倉時代に自決」のほうが、より無念な出来事に感じられますね。

 全国でムダな「はこもの」作りが問題視され、この単語が定着したせいか、1185年の場合は「いいはこ作ろう鎌倉幕府」と暗記させるのだとか。たしかにミナモト一族のほうが、いいはこ作っていたかもしれません。

 かまくらだけでなく鎌倉も、いまはちょっと遠くなりにけり。


ツブヤキ(2014/2/17):
 「2月」は、個人的には確定申告の月というイメージです。それから、やっかいな花粉症が、また始まる月……。

 花粉症のマンエンの主因は、国が50年ほど前から行ったスギの大規模植林で、それ以前の日本には症例の報告が存在していないといいます(実際はまったくゼロではなかったのでしょうが)。
 自動車などの排ガスも、そこに悪影響を加えているらしい。

 そうだとすれば、春が近づくにつれ、おおぜいの日本人が「またいやな季節がくるなぁ」と不快感を抱くという異常事態は、長い長い日本歴史のなかで、この数十年かぎりのことではないでしょうか。
 寒さが和らぎ、草木が青々してくる春という季節が、わが国の古文書でイヤな時期として描写されているという話は聞いたことがありません。

 寒さが和らいでくる点はいまも変わりないものの、今後、地球の温暖化が進行したら、温度が上がること自体マイナスのイメージを帯びてきたりして――。
 「○○は、冬の時代を迎えた」などという言葉も、意味することが180度変わるかもしれません。
 (もっとも、今年は珍しく大雪だけれど)

 元日の夜に、私の地域ではテレビで映画「モテキ」を放映していましたが、ずっとモテキな男の子にとっては、2月は何より「ああ、またチョコレートの季節だな」という感じだろうなぁ……。彼らにとっては、2月は春を待たずして、ニキビの芽生えの季節かな?

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