やればできるがやっていない?
筋肉そのものを初めとする「先天的」能力の違いが、かなりストレートに出る競技の一つに、これ以上シンプルな動作による競争はまずないだろう「かけっこ」がある。
「こりゃあ、日本人は太刀打ちできないな」という方向とは反対の意味で、近ごろ、スポーツに関して私が驚きを感じていることがある。
それは、陸上の短距離走、男子400mリレーという、決勝はずらり黒人選手だけになりそうな競技で、日本チームがしばしば上位に食い込んでいることである。
アテネ五輪では世界第4位となり、北京五輪では第3位(銅メダル)。ロンドン五輪では第5位で、選手たちは「ちょっと残念な結果だ」なんてコメントを残している。
こうした競技で黒人選手が優れていることは、むろん明白である。
しかし、何十もの国が、国内選りぬきの黒人選手でチームを組んでいるなか、それに伍して5位以内という順位に日本は食い込んでいる。
それも一時的でなく、時代とともにメンバーが入れ替わりながらだ。
明らかに外観のちがう日本人選手が、決勝で黒人選手たちに混じって走り、ちゃんと競えているのは、視覚的にはちょっとふしぎな感じであるが。
バトンの受け渡しなどで、日本人独特の工夫が活きているところはあるだろう。しかし、どの国だって時間ロスの短縮は考えているのであって、肝心の筋肉の質が格段に劣っていたらこんなことは起きえない。
「筋肉の強さ」比べなら、よりダイレクトに、重量挙げという競技でも考えてみた方がいいかもしれない。
先ほど述べた、メジャー内野手の強い腕力によるクイック・スローでとりわけ感服してしまうのは、日本人と変わらぬ小柄なアメリカ人プレーヤーが、平気でそれをやることである。これが何だか、「民族的な筋力差」という印象を、問答無用であたえる。
しかし、たとえ体格が同程度でも、民族間にそのような本質的な筋力差があるのなら、重量挙げのような競技など、全階級あちらの人々の天下となることだろう。
足腰はもちろん、上腕やリストの強さが明らかに肝要な種目なのだ。
けれども実際には、日本人、中国人などがしばしばメダルに名を連ねている。
陸上種目とは対照的に、「上半身の圧倒的な筋力」こそ要される器械体操(男子の場合だが)のような競技を、どんな国が得意にしているかを見ても、アジア人が腕部に特別なひ弱さなど持っていないことは明らかだ。
トレーニング次第では、日本人でも「矢のような」ジャンピングスロー――内野における「ザ・スロー」――が十分可能なのではないか。そう感じさせる具体的な人物がいる。
2005年にメジャーのシカゴ・ホワイトソックスへ渡った井口資仁である。
この年、ホワイトソックスはワールドシリーズ・チャンピオンまで登りつめたが、そこで監督に「私のなかで今年のMVPはイグチである」と言わしめた選手だ。
しばしば自己犠牲を強いられる二番打者で、かつ二塁手でありながら、ホームランを初年に15本、次の年は18本も打っており、日本人の内野手として最も華々しい活躍をした選手といえるかもしれない。
井口選手は見るからに鍛え上げた上半身を持っている。
彼がホワイトソックス時代、二塁ベース前へ転がったゴロに飛びつき、頭が足より低いのじゃないかという空中姿勢のまま、一塁へスナップ・スローをして鮮やかに打者を刺したことがある。
イチローが「ラテン系の選手みたいだ」と評していたが、メジャーのファインプレー集のなかに入っても光りそうなプレーであった。
考えてみると、メジャーでレギュラー・ポジションをしっかり獲った日本人セカンド/ショートのなかで、この人は今までのところ唯一、あの併殺に関わるデジャブ的な足の負傷に見舞われなかった選手なのだ。
むろん、一切は「たまたま」かもしれない。しかし、地から身を離しても、そのまま速い球が投げられる選手が、猛スライディングを足に受けにくいこと自体は、理の当然といえよう。
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