お菓子メーカーの矜恃
(2014/4)
「きのこの山」「たけのこの里」という、ロングセラーのお菓子がある。売場スペースが限られたコンビニなどでも、今もしっかり陣地を確保している。
自分が子供のころ売り出された菓子なので、見かけると、「商品の入れ替わりがこれだけ激しいなか、よくサバイバルしているなあ」と毎度思う。
いずれも明治のお菓子で、「たけのこの里」のほうが少しあとに生まれたようだ。
地に生えるかわいらしい植物というイメージといい、お菓子の作りといい、商品名といい、両者はよく似ているのに、「兄さん、もはやボクはこれ以上歩けません。この先はお一人で」とか、「弟よ、オレもいよいよ寿命が来たようだ」などと片方が脱落せず、そろってずっと売れ続けているのはすごいことだ。
雨後のタケノコのごとく次々出てくる新人たちを、キノコとタケノコが蹴ちらしている。
それどころか、両者そろって海をわたり、アメリカにまで進出している。
日本のメーカーが作ったチョコ・アンド・ビスケットが西洋へ入っていくのは、西洋メーカー製のモナカが日本へ入ってくるようなものだろう。
アメリカ人はこれを食べてどう感じるのだろうかと思って、前にネットであちらのレビューサイトを見たことがあるが、「きのこの山(Chocorooms)」に、9人の消費者全員が満点(星五つ)をつけていた。
「たけのこの里(Chococones)」も、やはりほぼ満点であった。
イチローが、メジャーの球場でスタンディング・オベーションを受けているシーンがなんとなく頭をよぎる。
Choco-roomsはチョコ+マッシュルームで、そのまんまの名前である一方、Choco-conesではタケノコがコーンと言い変えられているあたり、あらためてニッポンは竹の国なのだなと感じる。
なぜこの二つのお菓子は、こんなにも人気があるのだろうか?
キノコ、タケノコというほのぼのしたお菓子の形が、子供のみならず広い層に受けていることもむろんあろうが、あまり言われることのない大きな原因は、明治のチョコレート自体がそもそもおいしいことだと思う。
アメリカの人は、「たけのこの里」をもはやただの円すい形(コーン)と見ているわけだが、それでも好評を博しているのはピュアに味ゆえだろう。
むかし、「何だかあそこのチョコって、鉄の味がするよね」と私たち小学生や幼児の間でコンセンサスのあった、某メーカーのチョコレート群があった。
子供はそこらの物を平気で口に入れがちなので、「鉄の味」という言い方で話が通じたのだろう。
商品のイメージ・キャラクターにひかれて、遠足の時などについ買ってしまうのだが、あとで食べると後悔するのだった。
あのチョコレートを頭部にして、「きのこの山」そっくりのお菓子を作ったとしても、こんなベスト&ロングセラーになるとは思えない。
いっそ「かなぼうくん」(やはり当時の明治の名作お菓子)だったら、しゃれとしておもしろいかもしれないけれども。
細長いビスケット棒の3/4くらいに、つぶつぶピーナッツ(金棒のゴツゴツを表現)とチョコを被せたこの「かなぼうくん」は、私が小学生のころ一番好きなお菓子であったが、いま思い返せば、やはりチョコレートそのものがおいしかったのだ。
明治家の弟分である、キノコやタケノコが今も売られているのに、ずっと強そうな金棒のほうはサバイバルできず消えてしまった。これもやはり、「柔よく剛を制す」のコトワリであろうか。
ときどき、復刻お菓子というものが売り出されているが、あのかなぼうくんも、50周年だとか何だとかの機会に、ちょいと復活させてくれないだろうか。OBの方に製法や極意をたずねて――。
たとえ総入れ歯になっていても、往時をなつかしんで食べてみたい。
日本ではいま、高齢者が金棒を買ってバリバリ噛み砕いていますなんていうニュースは、元気そうで良いだろう。
かつて明治(製菓)は、「チョコレートは明治」という矜恃を、そのままCMソングにしてテレビで流していた。
年配の方は、「チョッコレイト、チョッコレイト、チョコレイトはメ・イ・ジ」というメロディが心の底に刻まれ、無害性トラウマのようになっていると思う。
あのCMソング、何だか琴線にふれるメロディで、庶民的ながらロマンティックな雰囲気もあるチョコレートという菓子によく合っていた。
いまもメロディはCMで使われているが、歌詞(?)のほうは長いこと聞かない気がする。
あのメロディを耳にすると自然にそれが「チョッコレイト、チョッコレイト」に聞こえ、「チョコレートは?」と言われるとつい「明治」という単語が頭をよぎってしまう人は、いま何歳以上くらいなのだろうか?
あの宣伝手法は、シンプルながら効力抜群であった。ときおり歌詞のほうも復活させればいいのに。
あんなにまで「チョコは明治」と言うものだから、ほんとに他と差があるだろうかという気持ちがわき、たしかにおいしいと気づいたりするのである。
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