藤圭子と時代の歌
(2013/10)
書籍「まいど~」に、宇多田ヒカルによく似た名前のスターが出てくる話がある。そこには、藤圭子の名前も(直接ではないけれど)ちらり出てくる。親子二代が、この二人のファンだという人物(家族)の話なのである。
発行後、まだ1ヶ月くらいしか経っていない時に、突然、藤圭子が亡くなったというニュースを聞き、びっくりした。
藤圭子がデビューしてヒット曲を連発したころ、私は小学生半ばくらいであった。当時、ヒット曲は世代ごとにあるものではなく、全世代的なものであったし、歌謡番組も大みそかなどによく見ていたから、日本人形みたいな容姿をして、まだ十代なのに、ドスのきいた声で自らの暗い過去を歌うこの歌手に、インパクトを受けないわけがない。大人よりむしろ驚いたかもしれない。
最初にちゃんと聞いた歌が、明らかに自分のことでない「新宿の女」でなく、「圭子の夢は夜ひらく」だったというのも大きかった。
子供というのは、「歌われている内容」=「本人そのもの」と、ストレートに受け取るものだ(当時の大人も、かなりそうだったとは思うが)。
御本人のキャラクターは実は明るく、生い立ちも歌のように暗いものではなかった、などという情報がこちらに伝わってきたのは、藤圭子がいったん引退したあとのことであった。
37週連続で、同じ歌手のアルバムがチャート1位を続けたという記録は、いまだ誰にも破られていないという。
37週といえば、8ヶ月半ほどである。「ベストテン圏内にとどまる」くらいならまだしも、1位を保つ期間としては異常な長さだ。
現代は、価値観がどんどん多様化するとともに、もはや歌の「アルバム」なるものが近々消えかねない時代であるから、この記録は永遠に超えられないことだろう。
別に親子ということとは関係なしに、アルバム売上の最高記録云々という話になれば、宇多田ヒカルの名前が出て来ずにはいない。
アルバム”First Love”は、海外も含めるとこれまでほぼ1千万枚売れているというが、この記録も、同様の理由でたぶん永遠の日本一になることだろう。
「千万」というケタは、全世界を市場にするマイケル・ジャクソンのような怪物が歩いている世界だ。日本語主体の音楽アルバムが、ここへ登りかけているとは!
何かを「持っている人」という言い方がよくなされるが、まさに「持っている家系」といえよう。
宇多田ヒカルが登場して旋風を巻き起こしたころ、私はまだ30代で、ヒットチャートの動きなぞつゆ知らないにしても、ポピュラーソングの世界からさほど遠くないところにいた。
いわゆるアフリカン・アメリカンの音楽にどっぷりハマった時期があったり、かなり多様な音楽を聞いてきたあとだからこそ、この人の歌を耳にした時には、日本から十代半ばでこんな存在が出て来ちゃうのかよと、ちょっと信じがたい気がした(あのころ、高校生にはなっていたのだろうか)。
正確には日本からでなく「ニューヨークから」であると知り、さらには藤圭子の娘だと知り、だいぶ腑に落ちたのだが。
単に記録の突出ぶりにとどまらず、この二人に共通しているセンセーショナルな感触が、なぜもっと並べて語られないのかと昔から思っていたが、考えてみると私は二人の登場に、ほぼ同じくらいビックリするような、けっこう微妙な世代に属していたようだ。
藤圭子は、演歌を仕事としつつも、実はロックが大好きであったという。
本人もテレビで直にそう語っていたし、亡くなったあと、かつてマネージャーをしていた人がインタビューを受け、藤圭子はロック歌手としてやり直したがっていたという思い出話をしていた。
「藤圭子」と「ロック」という取り合わせには、意外な感じを受けるけれども、本人の好みに加え、あのハスキーで迫力のある声、声量、歌のうまさ、華やかなルックス……とこの人の資質を考えていくと、生まれる時代が20年くらいあとだったなら、実際にとてつもないロックシンガーになっていたのではと思えてくる。
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