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 歌唱力抜群の歌手がいると、むかしは本人の志望にかかわらず、演歌の道へ進ませることが多かった。需要を考えれば、レコード会社にとって当然の戦略だったのだろう。

 八代亜紀も元々はジャズ歌手志望だったというし、森進一に至っては、ポピュラー系から演歌に変えさせられたのみならず、声までわざとあのようにツブすことを強いられたという。

 逆にいえば、当時の日本で生まれていたなら、宇多田ヒカルも演歌を歌ってデビューしていた可能性が高いだろう。

 かつて森昌子が、大人顔負けの歌唱力で13歳にして「スター誕生!」という番組のグランドチャンピオンになり、中学の先生へのあこがれを歌った「せんせい」という演歌テイストの曲でデビューしたが、もし時代がずれていれば、宇多田ヒカルのデビューも、まさにそのようなものであったかもしれない。

 どんな才能であれ、時代や居場所の制約を強く受けて開花するのだ。

 藤圭子と宇多田ヒカルが一緒に歌っている、「冷たい月」という曲がある。
 藤圭子はこの曲で、こぶしや独特の深いビブラートみたいな演歌的武器を抑え、宇多田ヒカルのほうへ少し歩み寄るような歌い方をしている。

 力を抜いた感じのこの歌い方が、実にいいのである。演歌の味わいが残っているとともに、優れた黒人シンガーを連想させるような部分もある。このスタイルで1枚アルバムを作ってくれたらと思うほどだ。

 それぞれの持ち歌で聞くかぎり、母娘といってもこの二人の声質は、あまり似ている感じがしない。しかし、この曲を聞くと、実はそっくりなのだということがよくわかる。

 声が似ている上で、歌い方がやはり違うので、両者が重なり合うとふしぎな魅力がある。それこそロック・バラードか何かを、中間点のごとくして二人で歌ったら、絶品だったのではないか。

 先ほどふれた八代亜紀は、藤圭子とまさに同世代の歌い手だけれど、カラオケのコマーシャルで「残酷な天使のテーゼ」を歌って若い衆を「うめえ!」とうならせたかと思えば、ついにジャズ歌手活動を本格的に始め、今年ニューヨークへ乗り込んで名門クラブでライブを行い、話題になった。

 その前には、さらに先輩格の、由紀さおりの世界的ブレイクがあった。

 つまり、卓越した歌唱力をもつ歌手というのは、60歳を超えても衰えるどころか、蓄積したものを活かしつつ新境地を開いて、初めて日本外へ進出して行きさえするのだ。

 芸能活動を再開したあとの藤圭子を、テレビで何度か見たことがあるが、陽気な性格をもうストレートに出しており(昔は、イメージ戦略的に禁じられていたことがいろいろあったのだろう)、歌も、ちっとも衰えていないばかりか、むしろ昔よりはるかに生き生きと歌っていた。

 昔のイメージとのくい違いが、マイナスに作用した時期もあったろうが、さらに時が経ってそんな先入観のない人が多くなり、かつ「宇多田ヒカルのお母さん」として若い世代にも名がよく知られている状況では、再ブレイクの可能性が十分あった人ではないか。
 むろん、歌手としての能力や存在感だけを考えての話ではあるが――。

 タラレバの想像にすぎないけれども、たとえばあのカラオケCMの「残酷な天使のテーゼ」を、仮に藤圭子が歌っていたとしたら、その「インパクト」は、八代亜紀の場合以上のものになったのではないかと思う。

 名前は知られている一方で、実際に歌う姿は若い世代に知られていないし、それに何といっても、あのすごみがある声の質(あれを聞けば、そりゃあ「怨歌」的な歌詞を用意したくなるよなあ……)。

 そんなことを考えたり、まさに新境地を感じさせるような先ほどの曲などを聞いていると、今回の出来事がいっそう残念に思われてくる。

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