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 この「ツ」について次のような見方をする人があるやも知れぬ。

 日本語の50音には、もともと英語の「トゥ」(あるいは「ドゥ」)にあたる音がなく、私たちはこの音の発音に慣れていない。そのため、get、cutといった英単語の最後を、つい50音にある「ツ」音に変えてしまうのだ……。

 たしかに、いわゆる「How Toもの」だとか「door to door」といった言葉が、わが国ではあっさり、「ハウツーもの」「ドア・ツー・ドア」といった表記へチェンジされる。

 おなじみ、「007」の映画シリーズに、日本を舞台とした「007は二度死ぬ」という作品がある。
 ボンドガールも日本人がやっているという異色作だが、このなかに出てくる日本人が、ジェームズ・ボンドのことをしきりに、「ボンさん」「ボンさん」と呼ぶ。
 日本人は「Bond」をちゃんと発音できないことから、そのようなセリフにされたのだという。

 Bondの英語発音は、「バンドゥ」という感じであり、たぶん最後の「ドゥ」音が問題だったのだ。「ボンド」よりはむしろ「ボン」のほうが、英国人の耳にはBondに近く聞こえたのだろう。

 このように書いてくれば、あの「ト」が自然に「ツ」になるという話は、単純に日本人特有のクセであるかのようである。

 ところが――。

 先ほど、ビートルズの名を出した。その音楽づくりの中心を担ったポール・マッカートニーは、英国エンタメ界の2強タッグという感じで、007映画の音楽を書いたりもしているが、この人がソロになってから放ったヒット曲に、「ジェット」というのがある。

 ジェットというのは、歌詞では「近々結婚する」「お父さんがまだ若すぎると言う」「髪が風に舞う」等々と描写され、女の子のようだけれど、実は犬(または馬)の名だともいわれる、実体のよくわからない存在である。
 しかし、ここで重要なのはジェットが二本足か/四本足かではなく、それが名前であって、明らかに一人(または一匹)だということである。

 ところが、「トゥ」音をけっして苦にするはずがない英国人、ポール・マッカートニーが、この「Jet」を、曲中でふしぎに「ジェッツ」と発声するのだ。

 彼ばかりではない。バックのコーラス隊も、初めはタイトル通り「ジェットゥ」と言っているのだが、そのあと、いかにもついうっかりという感じで「ツ」音が混じり、歌が終盤に入り気がゆるむとそれが連発され、都合3回も「ジェッツ」と言っていることを、私の探索的な耳は聞き逃さなかった。
 実のところ、御大ポールは100%「ジェッツ」と発音している。

 これはJetという言葉が、やはりここでも単独で、叫ぶように言い放たれていることによっていよう。
 つまり、ダンディ坂野に知らぬ間に働きかけ、「ゲット」を「ゲッツ」と言わせた何かが、人種をこえて英国の人々にも作用し、Jetを「ジェッツ」と発音させているのである。

 「一発屋」という言葉は、お笑いだけでなく、音楽のヒット曲の場合にもよく使われる。

 ポール・マッカートニーという人は、いわゆる「ゴールドディスク」を世界で最も多く獲得している人物で(この記録は、「ディスク」が減りつつあるなか永遠のNo. 1だろう)、「一発屋」からこの世で最も遠い存在である。
 「一発屋」と「ポール・マッカートニー」は、ほとんど対義語と言ってよい。

 ところが、そんな違いをものともせず、および洋の東西の違いもこえて、「ト」は、叫ぶと「ツ」になるのである。
 これはまさに「普遍」という言葉に値しよう。

 「音便(オンビン)」という文法用語がある。
 たとえば、理屈からすると「行きて」と言うべきだが、それだと言いにくいので、「行って」と発音されるといったものだ。

 「発便宜」といった意味合いを、短さの便宜のために、ちぢめてできた用語らしい。どこまでも、私たちの口はラクをしたいのである。

 音便には、「イ音便」「ウ音便」……といくつか種類があるが、正しさよりも口の性(さが)のほうが優先され、「ト」が「ツ」と発音されてしまう上記の現象を、「ツ音便」としてそこに加えてはどうであろうか。この不可思議な現象に、スッと国際的な糸が通る。

 あるいは、誕生当時から「何でツなんだよ?」と周囲に疑問を抱かせ、私にこのような文も書かせている「ゲッツ!」の強いインパクトに敬意を表し、ふつうのルールと関係なく付けられるあの「S」を「坂野のS」と呼んでもいいかもしれない。

 そうしたシンプルな命名がなされれば、たとえば、「なぜ、ポール・マッカートニーはJetなのに始終ジェッツって歌ってるんだ?」「あれは、いわゆる坂野のSじゃないか」「あ、そうか」と、あっさり話にケリがつく。
 そうなれば、一発屋とされた人が、その一発で「普遍」に変わるというふしぎなことが起きるだろう。

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