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チーズが生む変な顔
(2013/8)

 写真を撮るとき、日本人はどうしてあんなにも、「ピースサイン」をするのか?――これは日本の若者や子供たちの写真を見て、外国人がしばしば抱く違和感であるようだ。

 若者や子供ばかりではない。いい年のおじさんおばさんとて、同級生の集まりみたいなくだけた場所では、ぱっとカメラを向けられるとあのポーズへ引力が働くことを、私は当事者としてよく知っている。

 なぜそこで、ピースサインを?――仮にそう問われたなら、返答はまあ、「そういう習慣があるんで、何となく自分もやっているだけだ」というものだろう(誰がその都度、平和を祈念していよう?)。

 ただ、カメラを向けられた刹那、あえて手を顔の横に動員したくなるのには、ちょっと別の理由も潜んでいる気がする。


 写真を撮られる時には、いつも少し嫌なプチ緊張があるものである。相手がいつシャッターをカシャリとやるかわからない、しばしの時間を、気が抜けぬまま、或る顔で待っている。

 あとあとまで残るのが写真だから、できれば自然な笑顔で写りたい。
 撮影者が構図なんかに手間どって、シャッターボタンをなかなか押さなかったりすると、温和な笑顔のまま、「コノヤロ、はやくしろ」と心のなかで思う。

 テレビのニュースを見ていると、国のトップ同士などが握手をし、カメラのフラッシュを浴びながら、笑顔を保っているところがよく映る。

 写真を撮られることにきわめて慣れている人々だが、それでもけっこう無理している感じが伝わってくる。笑顔を固定するというのは、そもそも人間にとってたいへん不自然なことなのだろう。

 写される瞬間を、自然な笑顔で待つというのは、そんなふうにちょっとムズカシイのだけれども、ここであのピースサインなるものを、顔の横にぽんと出すと、その辺の状態ががらり変わるように思う。

 顔だけに集中していた意識が、手のほうへも広がって、以上のようなめんどくさい感じが何だか消える。
 カメラへピースしていると、こちらもちょっとおどけたことをしている意識があるから、なんか自然に適度の笑顔になるのだ。その表情をしばし続けることも、手付きだとあんまり難しくない。

 実際、紙やネット上の写真で、両手でピースサインをかざしている連中なぞ見ると、ぎこちない表情をしているのは一人もいない。みな気持ちがこちらへ乗り出しているような、実に自然なアピール顔になっている。

 生き生きした表情の写真が欲しいけれど、ピース付きはまずいという時は、ピースのポーズで写真を撮って、あとで画像処理で手だけ消してはどうかと思うほどだ。

 人間は、両手を固くゲンコにして大笑いできないものだが、両手でピースサインをかざしながら激怒するのもまた難しいだろう。あそこには何やら、人から緊張を追い出してしまうものがある。

 よもやそんなことを思ってカメラにピースしている人はあるまいが、あの定番ポーズの後ろには、顔だけでシャッターを待つプチ緊張を取っぱらうという、実用的メリットが潜んでいるのではないか。

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