抱いてよ、浪速のホームラン王
(2016/8/3)
前回のついでで、大阪に関係したことを少々。
私と同じ勘違いをしている人が日本には何万人、何十万人いたのではないか。そう思われてならないので、相当古い話ではあるが記すことにする。
大阪出身の歌手、上田正樹に、「悲しい色やね」というヒット曲があった。大阪の街を舞台にしている曲である。
この曲のシングルが発売されたとき、東京でもラジオのCMで、曲のサビである下記のフレーズがくり返し流されていた。
ホールド・ミー・タイト 大阪ベーブルース
「俺のこと好きか?」 あんた聞くけど
ホールド・ミー・タイト そんなことさえ
わからんようになったんか?
この「大阪ベーブルース」という部分を、私はずっと、「大阪ベーブ・ルース」だと思っていたのである。
ベーブ・ルースというのは、「野球の神様」と呼ばれたアメリカの伝説のホームラン打者だ。大阪の人は、有名人の名を使って「浪速のロッキー」といった名づけ方をよくする。その野球選手バージョンだと思ったのだ(「大阪~」という言い方はやや妙とはいえ)。
これが大まちがいで、じつは「大阪ベイ(湾)・ブルース」だったと知ったのは、わりと最近のことである。
これに関しては、次のような釈明がぜひとも必要である。そうでないと、ただの阿呆のように映りかねない。
この歌が世に出るしばらく前に、米国でベーブ・ルースの通算ホームラン世界記録が実に39年ぶりに破られ、さらにその数年後、この新記録を巨人の王貞治が抜き去るという、日本中がわき返った出来事があった。
高度成長期の「アメリカに何とか追いつけ」気分を、みなが王のホームランボールに乗っけていた感じで、あのときの列島のわき方に近いことは、皇族の結婚といった出来事を除けば、ここ30年くらい起きていないと思う。
かの「国民栄誉賞」は、このときの王貞治をたたえるために、そもそもわざわざ作られたものなのである。
むろん王がルースの通算本数を抜いた時点でも大々的な報道があったので、伝説のホームラン王・ベーブ・ルースの名は当時、野球に興味のない人まで広く浸透していた。
一方、関東地方にはこのときまだ、東京湾の名所「ベイブリッジ」も、横浜「ベイスターズ」も存在していなかった。だから、「ベイ」と聞いてサッと「湾」を連想する回路が、こちらの頭のなかに全然なかったのである。
逆に思うのだが、もしかすると当時、大阪あるいは神戸には、「ベイ○○」といった名称の、関西の人みなが知っている名所なり施設なりがあったのではないか?
そもそも、いきなり曲のサビ部分の
「ホールド・ミー・タイト(ギュッと私を抱いて)、○○○」
というお願いの言葉を聞けば、「○○○」のところは、目の前の相手の「名前」だという感じがすごくするではないか。
しかもその次に、「俺のこと好きか?」という男の言葉が続くゆえ、このセリフは「大阪ベーブ・ルース」さんの言葉だと思ったわけである。人間の自然な心の動きといえる。
もし国語の試験に、上記のような穴うめ問題が出て、この○○○に何と音楽ジャンル(=ブルース)が入るというのが正解だったら、正解者はゼロで、生徒たちは暴動を起こすであろう。
もちろん、この曲「悲しい色やね」を最初からちゃんと聞けば、作詞者は推理小説のように(?)精密に伏線を張っているのであって、「桟橋」といった港湾ワードが出てきたあとに、かの「大阪ベイ・ブルース」は登場し、その直後には「大阪の海は悲しい色やね」というい美しいフレーズが続くのだから、伝説のホームラン王など頭に降臨するはずもないのである。
しかし、同郷人向けに作られた感じのある歌だけに、東京ではこの曲がフルコーラスで流れることが少なく(私は一度も出くわさなかった)、主にサビの部分だけが曲の宣伝で流されたため、誤解が生じたのだ。
関西以外の地域ではあのとき、みなこれに近い状況だったのではないかと思う。
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