「悲しい色やね」のサビ部分をラジオで何度も聞いているうち、私のなかに、これはたぶん次のような内容の歌なのだろうという、おぼろげな想像ができて行った。
大物ぶって、みずから「大阪ベーブ・ルース」を気取っている、一軍半くらいのプロ野球選手がいる。おそらくかつて、甲子園あたりでとてつもない飛距離のホームランを打ち、観客を驚かせたことがあるのだ。
そして、その恋人の女がいる。初め、この選手の「追っかけ」をしていて、やがてそういう関係になったのかもしれない。
男は、実は自分はたいして実力がなく、「ベーブ・ルース」だなんて名前倒れだとわかっている。ある日完全に自信を失って、「こんな俺でも好きか?」と女に聞く。
女は「そんなことさえ わからんようになったんか?」と怒り、かたく抱いてと言う。
そういう、悲しい状況を描写した歌。
私は今でも思うが、「大阪ベーブルース」というコトバにあの「野球の神様」しか思い浮かばず、最初のサビのところだけをくり返し聞いたなら(それで、曲のタイトルが「悲しい色やね」)、少なからぬ一般的日本人がこれに近い想像をすると思う。
力も無いのに、せいいっぱい虚勢を張っている男の姿に、「悲しい」という形容はピッタリくる(今だと、「イタい」という言葉もあるが)。
「ベーブ・ルース」という人名の選択(?)には、「なるほど」感みたいなものさえあった。
ホームラン王の代名詞といえば、すぐさま浮かぶ名前は王貞治であるが、よりによってジャイアンツ選手の名をここで使うことは、阪神ファンが圧倒的に多い大阪にあってありえないことであろう。
かといって、ベーブ・ルースの記録を抜いた「ハンク・アーロン」なんていう目新しい名も、雰囲気的に明らかにフィットしない。
時の重みをもつ「ベーブ・ルース」という人名の選択には、言われてみれば必然性を感じたのだ(実際は、言われていなかったのだが)。
この曲「悲しい色やね」は、ふつうはこれだけで名指されるが、実のところそのあとに、「~ OSAKA BAY BLUES」という副題が付いていたらしい。
私が自らの誤解を知ったのは、あるときネットでたまたま、この副題の英語つづりを目にしたときであった。
ベーブ・ルースどころか、「オオサカベイ」+「ブルース」であって、そもそも言葉の切り所からしてまちがっていたのだ。野球の神様が、心から瞬時に消えた瞬間である。
もっともこの副題を当時、耳で聞いただけであれば、まったく同じことが起きていたと思うが。
この出来事を、私は自分のなかで、私的「重いコンダラ」と呼んでいる。
「コンダラ」というのは、知る人ぞ知る大きな器具であって、いにしえのアニメ「巨人の星」に由来している。この番組の主題歌は、
思いこんだら 試練の道を ゆくが男の ど根性
という勇ましいフレーズで始まるのだが、小さい子供はこんな難しい表現などわからず、音だけキャッチするので、なんとなくこれを「重いコンダラ」と記憶し、作品中で主人公が巨大な整地ローラー(トイレットペーパーを大きくした感じのあれ)を引きずる姿をみて、それを「コンダラ」という道具だと思いこんだというものである。
人間、いちど「思いこんだら」、以後、そう聞こえてしまうものなのだ。勘違いした当のフレーズが、ずばり「思いこんだら」であったというのは、神のいたずらであろうか。
このド根性アニメに出てくる整地ローラーは、主人公の「血の汗流す」努力を子供たちに印象づけたいためだと思うが、笑ってしまうくらい巨大に描かれていたので、いちど見たら絵が脳裏に焼きついてしまうのであった。
「なるほど、あれが歌に出てくるコンダラというものか……」
くだんの「大阪湾ブルース」を、先日あらためて聞き直してみたのだが(ちゃんとぜんぶ聞くのは今回が初めて)、これは実に情感あふれる名曲なのであった。そして、まさしくブルースである。
さすが、「憂歌団」のようなバンドが生まれてくる土地だ。歌詞も、「湾」だと、すべてがいちいち腑に落ちる(あたりまえだ)。
この曲がヒットしてから何十年も、曲の核たるサビの歌詞を「ベーブ・ルース」だと思っていた私は、悲しい色であろうか?(ここで大阪から、「悲しい色やね!」とツッコミを入れていただきたい)
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