院長 私がこれから言う言葉を、大きな声で反復してくださいね。言うときに、十分に気持ちをこめて、イメージも伴わせることが大切ですよ。
いいですか――
男 はい。
院長 「私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る」(部屋の外まで聞こえるような大声。語尾の「くぅ~る」は英語的な発音)
男 ………………。
院長 はい、言ってみましょう。
男 今のを……言うんですか?
院長 もちろんです。問題を解決するのは、他の誰かではありません。あなた自身なのです。
いいですか、においが出たあと、中途でこちらへキュッと引き返すイメージを描いてください。私のあとについて――
私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る。
男 私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってく~る。(あとへ行くほど小さい声になる)
院長 もっと大声で! 効き目がなければ、これはただの恥ずかしい行いになってしまいます。
男 (やっぱり、基本的には恥ずかしい行いなのか)
院長 問題は自分で解決するんだという、強い気持ちをもって、ご自分のマァックス(いい発音)の声で。
はい!
男 私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってく~る。(やけくそな大声)
院長 声の大きさは良くなりましたね。だけど、言い方が少し……。
この、語尾の「くぅ~る」の部分が、特に効果を発揮するところですから、そこだけやってみましょう。
最後の「る」を、少し巻き舌にしてね。いいですか、
くぅ~るル
男 くぅ~る
院長 舌が巻けてませんよ。
くぅ~るル
男 くぅ~るる
院長 もうちょっと!
くぅ~るル
男 くぅ~るル
院長 まあいいでしょう。それじゃ、全体を通してもう一度。
私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る。
男 私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る。
(部屋の外に人が集まっている気配。くすくす笑いが外から漏れ聞こえる)
院長 いいでしょう。声量も発音も完璧に近い。あなたは優秀だ。
男 (完璧とか優秀とか言われても、まるで嬉しくないな)
院長 これをおうちで、朝夕10回ずつ繰り返してください。
朝なんか、外に出て、太陽に向かってやるといいですよ。においがキリッと返ってくるようになります。
男 あのぅ……においがこっちに戻らずに、消滅するようにはできないんですかね?
何だか、やるたびにこっちににおいがたまるみたいで……。
院長 出てしまったものを消すことは無理ですね。しかし、どれほど自分のところに溜まっても、他者に届かなければ無いと同じであることは、先ほどお話しした通りです。ご心配には及びません。
男 それにしても…………においにイメージトレーニングなんて、ほんとに効くんですかねえ?
院長 もちろんですよ。
論より証拠、私はお客さんがいないとき、いつもこのデスクで、「お悩みをもったお客さんが、次々に入ってくぅ~る」というイメトレをやっています。だからあなたもこうして入って来られた。
つまり、この方法の効果を、ほかならぬあなた自身がすでに証明したわけです。
男 うーん。(そういえば、この部屋から異様な引力を感じた気もするな)
わかりました。じゃあ、しばらく家でやってみることにします。
(治療費として、そこそこの金額を払う。
ひとつの言葉を、二人で叫んだだけだったことを思い出し、男の頭を、「坊主丸もうけ」という言葉がよぎる)
院長 お帰りの前に、ご快癒を祈念して、最後にもういちどあの呪文を唱えておきましょう。今までで一番迫力のある声を出してください。
よろしいですか……。
私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る。
男 私から出たにおいが、みんなこっちへ戻ってくぅ~る。
(数回くり返す)
院長 お疲れさまでした。万が一効果が出なかったら、またいつでも来てくださいね。次回は、初診料はありません。
男 わかりました。ありがとうございました。
(男がドアを開けると、ドアの外に密集していた10人ほどの老若男女が、気まずそうにパッと四方へ散っていく。
見ると、英会話教室で同クラスの、OL数人も混じっている)
男 終わって帰ったかと思ったら、次のクラスも受けてたのか……。
あそこの生徒の間に、今日のこと、あっという間に伝わるな。(学校変えよう)
院長 (男の背中へ小さくつぶやく) ほうらやっぱり、うちにはたくさん人が集まってくぅ~るル。
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