(部屋の後ろのほうで、ボソボソ雑談している数名の社員)
社長 こらあっ! そこで私語をしている連中!
そこの5人ほど!
社員G あ、申し訳ありません。
社長 こんな重要な通達の最中に……。
ようし、君ら全員、今日から秘密諜報部員だ!
私語一同 げえっ
社員G そんな……。
社員H 社長のお言葉ではありますが、少しの私語で、いきなり諜報部員とはあまりに――
007 (私語どころか、わしは何も悪いことしてないのに……)
社長 つべこべ言うんじゃない。
そこの5人、左から順に001、002、003、004、005だ。わかったな。
社員Gこと003 (けさ、頭痛がひどかったんだから、無理して出勤しなければよかったよ)
社長 今後、部に新しく入るメンバーには、「006」から順番にコードネームをふれ。
ただし、008は欠番にする。
007 なぜです?
社長 マルハチというコードネームは、その諜報部員が、ふとん業界に関係ありと推測される危険があるからだ。
こうして万が一のことまで想定するのが、諜報機関というものだ。
007 ……。
社長 それと、コードネームの009には、外部から新たにサイボーグをやとえ。身体的に、きわめて過酷な任務もあるから。
007 (そんな人、どこで見つかるんだ?)
社長 それじゃあ、栄えある秘密諜報部員に決まった者は、これから私の部屋に来なさい。
ほかの人は解散! 朝からごくろうさん。
社員A ひとまず……助かったぁ。
社員E (うちの部から、ごそっと人が抜けちゃったけど、自分が巻き込まれるよりは、ずっといい)
社長 (部屋を去りながら、部員たちに話しかける)
君たちに最初の指令をさずける。
まず、ロシアのプーチン大統領の……
社員C (大声だから、みんな聞こえちゃってるよ)
(その夜遅く、帰宅した西川氏)
007 (ぐったりした表情) かあさん……わしは今日から、諜報部員になったよ。
妻 ええっ、諜報部員?
007 社長の、わけのわからない思いつきでね。しかも、秘密諜報部の、部長なんだ。
妻 まあ……おめでとうというか……何をするの、それ?
007 言えないんだ、仕事の性格上。
わし自身、よくわかっていないというのもあるし。
部の略称は、MI6っていうんだ。これも一応、覚えといてくれ。
妻 何なの、MIって? ミッション・インポッシブル?
007 言えない。今や知ってはいるけど。
あと、会社の人から電話がきて、「007をお願いします」と言われたら、わしのことだからね。
妻 ……。(けさ出ていくときは、ふつうの人だったのに)
007 (007と書かれた名刺を見せる)
とりあえず、お昼に千枚刷ったんだ。そのくらい要るらしい。
妻 千枚……。
(妻、ふと、日めくりカレンダーに目をやる)
妻 あっ、今日、4月1日でしょ?
その変な話、エープリルフールじゃないの?
007 エープリルフール……ああっ! ああっ!
妻 そんなおかしなことを、わざわざ4月の1日に言うなんて……。
西川7 そうか……なるほど……それで……。
妻 でも、冗談にしては、多量に名刺まで作らすのは変ね。
西川 いや、これはエープリルフールでまちがいないな。
うちの社長は、悪のりが異常に好きなんだ。
あした、名刺代を払ってよこして、ワッハッハと笑うに違いないよ。
妻 そうだといいけど。
西川 いや、前も似たようなことがあってね、同僚の横山が……
(翌日、笑顔で腕を振って出社した氏が、また夜遅く帰宅する)
007 (青ざめた顔) かあさん、昨日の話、ぜんぜん、エープリルフールじゃなかったよ。
4月2日になっても、わしはやっぱり007だったよ。
妻 ふええっ。
007 そいでわし、明日、成田からロシアへ飛ぶことになったから。
妻 ロシア? なんて急な。(昨日もすごく急だったけど)
007 プーチ……いや、秘密の任務が下ってね。帰りに、閉店まぎわの書店で、「ロシア語日常会話」を買ってきたんだ。
明日までに少しでもロシア語を覚えないといかん。今日は徹夜で勉強だ。
妻 ……
007 かあさんは、先に休んでおくれ。
妻 (言葉が出ない)
(6時間後。夜中。妻、トイレに起きる。
居間から、必死にロシア語を勉強する声が聞こえる)
007 オーチン・ハラショー、オーチン・ハラショー……
妻 (思わず、居間の戸の外で涙する) ベッド会社ならまだしも、日本式のおふとん屋さんなのに……。
007 スパシーバ、スパシーバ……
妻 西川さんが検査をしたなら、ふとんは安心だといつも言われていたのに、諜報活動なんて……。
007 ミニャー ザブート 007、ミニャー ザブート 007……
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