奥林匹克の氷速女帝と大和撫子
(2018/3/19)
先月、韓国・平昌オリンピック(2018)が終わり、次はいよいよ東京オリンピック(2020)。さらにその次は、北京オリンピック(2022)。
世界が集うビッグイベントが、妙に近場をずっと巡業している印象を受ける。
オリンピックも、回を重ねるごとに種目や参加国を増し(1964年の東京オリンピックに比べ、どちらも倍くらいになっている)、国にそうとう経済力がないと招致しがたい状況だ。
なるべく世界のあちこちで開きたいだろうなか、3回つづけて、せまく漢字圏(「旧」もふくむ)で開催する結果になったのは、必ずしも偶然でなく、この地域の相対的な元気さを示していよう。
日本でも、「いま」は招致に適切な時期なのかという議論はむろんあったのだけれど。
アメリカには、日本/中国/韓国の3国を、たとえばスロベニア/クロアチア/セルビアくらい「ほぼ同じ」と感じている人がいることを、私は具体的に知っている。
現在の「中華の地」(アメリカ)からながめるなら、一般の人にあって、遠方の国々はわりとそんなふうだ。
彼らはいま、オリンピックを立て続けに3回ユーゴスラビアでやっているような印象だろう。
上で日・中・韓3国に対し、スロベニア/クロアチア/セルビアという順でならべてみたのは、ちょっとしたいたずらである。
スロベニアとクロアチアは、「ヨーロッパ界の漢字」みたいな基盤字のラテン文字を使っているが、セルビアは別の文字がメイン。ただ、昔のよしみでラテン文字も残っている(韓国的)。
3国中、GDPはクロアチアがトップで、スロベニアが少しの差でつづく。
15年間前に分裂が起きたそもそもの原因だが、民族は各々ちがい、カトリック/東方正教会といった宗教の混在も複雑で、激しい対立がある。
しかし、遠い極東から見ると、ぼんやり一つに見えてしまう(ユーゴーしている)。
中国語では、オリンピックを「奥林匹克」と書く。いまの日本人が見て、「おりんぴっく」と読めてしまうのが可笑しい(特に、「ぴ」の字に味わいあり)。
旧ユーゴの国々ほどではないが、ひとまとまりの文化圏ではあるのだ。
「五輪」という字を目にして、中国人も何を指しているかたぶん推測がつくだろう。これが「七輪」になると、ぜったい想像がつかないと思うけども。
日・中・韓といえば、仲がわるい部分だけがクローズアップされる。実際、深刻な問題はたくさんある。「あっちが、つまずいて国力低下してくれると嬉しいな」と思ってしまう。
しかし、世界を乗せた「五輪車」がずっとご近所を走っているなか、この一帯が全体として地球上で重きをなしつつあるという、それはそれで喜ばしい思いをひとつ持ってもよい気がする。
上の状況は、最近のオリンピックで見る、選手たちのありようそのものでもある。
たとえばアイススケートという競技は、フィギュア(「美」系)であれ、スピード(「パワー」系)であれ、かつてはアジアの選手の五輪連覇なんて考えられない世界だった。
先日の女子スピードスケートで、3連覇をねらう韓国の李相花選手を、日本の小平奈緒選手がやぶり、ふたりがそのあと敬意&親愛で抱擁しあったシーンが話題になっていたが、その前段階として私は、金メダルがこの地域をチョコチョコ小さく移動している事実が驚きである。
それにしても、「ウィン-ウィン」など無いスポーツ界こそは(国と国なら、ありえなくはない)、ライバルに対して「失敗せい!」という気持ちが自然にわく世界だ。
そんななか、それとはちがう精神的な関係が別になければ、「金」と「銀」の選手の間にあのような場面は生じないだろう。
日・韓のトップ選手がもともとリンク外で親しかったという話以上に、私が意外だったのは、あのシーンに関する韓国メディアの報道である(翻訳して紹介されていたのを、読んだにすぎないけれど)。
あの光景は、私たちにはすっきり「美談」だが、韓国にしたら、自国に金メダルをもたらすと期待していた「氷速女帝」(李選手のニックネーム)が、敗北したできごとだ。
「よりによって日本人に負け、なぐさめられるとは、屈辱だ」みたいな報道一色になってもおかしくない。
しかし、私が目にした文が、財務省公文書のようにすごく改ざんされたものでなければ(と、つい時事ネタをはさむ)、多くの韓国メディアがあれを、「美しい出来事」として報じている。
「今大会で最も感動的な場面」とまで書いていさえする。自国開催のオリンピックで、自国女王の3連覇が阻まれた場面なのに……。
韓国最大の新聞「中央日報」には、「政治もああであったら、どれだけ良いだろう」というコメントが載ったそうだが(日本最大の新聞「読売新聞」のリポート)、そう感じた誰かがいることより、敗北の翌日に中央日報がそんな言葉をえらんで載せたことに驚く。
それらを読むうち、仮にこれと逆のことが起きたら(たとえば東京オリンピックで、3連覇をめざした日本の女王が韓国人に敗北)、こちらはそれをどのくらい「感動的」と思えるだろうかと、ちょっと考えた。
慰安婦像の問題などもあり、わが国では韓国というと、「彼らは民族として異常なのだ」みたいなとらえ方が、このごろ強くなりつつある。
しかし、隣にずっといることが確実な大集団に対し、憎悪の度合いをどんどん高めていっても、その先によい状況が待っているとは思われない。
若い日本人は、いずれ何らかの形で半島に統一が起き、中国と朝鮮半島(合わすと15億人近い)が、「ある意味で」一枚板になる未来もリアルに想像してみるべきだ。
そのときこの地域で米国の力は、いまより確実に弱まっているだろう。もともと、地球の裏っかわに近い場所なんだからねえ……。
私も正直なところ、慰安婦像をめぐる先方の行為などに、かなりの怒りを感じないと言ったら、エンマ様に舌を抜かれるまでの嘘になる。
しかし、日本にも両極端の考えをもつ人々がいるように(たとえば強度の韓流ファンと嫌韓)、あちらの人々もきわめて多様であるにちがいない。
多様というのは、嫌がらせが根本的に好きな人も、当然いっぱいふくむということだ。
相手のそこへ、できるだけライトを当てあう濃密な2国旅は、もしかすると心中みたいなものかもしれない。
日韓両方にあって「美しい」と受けとめられた、先日の平昌のスケート光景は(私は両国の仲が「悪い」ことが、ひとつ隠し味になっていたのじゃないかと思う)、今後も同様のことがあるほうがいい何かとして、なるべくとらえていくべきだろう。
ついでながら、上述の「漢字圏」というイメージが頭に浮かんだのは、あの「氷速女帝」という四文字言葉からであった。
これ、ハングルを日本語訳した感じがせず、とても中国っぽさを感じる。
日・韓・中の、そこそこ年配の人が見たなら、みなスッと意味がわかる文字列ではなかろうか。
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