意外な人物の影
(2015/6/4)
先日、安倍首相が国会で、民主党・辻元清美議員の質問(というか、その前段のコメント)の最中に、「早く質問しろよ」とヤジを飛ばしたことが問題になった(首相は後日謝罪)。
私がこのニュースを、新聞でまず見たときの印象は、「自民も首相も独り勝ち状態ゆえ、ちょっと傲慢になっているのでは?」というものだった。
ところが、あとで実際のやりとりをテレビ(ビデオ)で見たら、まさに「百聞は一見にしかず」で、この出来事に対する印象ががらり変わったのだった。
といっても、反対に、「辻元清美のほうが悪い」と感じたというのでも、ないのだ。
この出来事の背後には、あのとき国会に座ってこそいなかったものの、首相と辻元議員「両方」の発言に大きな影響をおよぼした「第三のキーパーソン」が存在するというのが、私の印象なのである。
首相から「早く質問しろよ」のヤジが出たのは、辻元氏の発言の次の箇所であった。
……要するにね、戦争というのはリアクションがあるんです。「ちょっとだけよ」と言って行って、いつも大きな戦争に広がっていってるわけです。ですから、総理こうもおっしゃってますよ……(ここでヤジ)
上の発言の「ちょっとだけよ」という部分は、いま50歳くらい以上の日本人だけがわかる言葉であろう。これは、四十数年前に一世を風靡した、加藤茶のギャグなのだ。
あの志村けんが、まだドリフターズの「付き人」をしていた頃のギャグだと書けば、そのヴィンテージぶりがわかるだろう。
これは、「8時だョ!全員集合」という、当時の怪物番組(最高視聴率は50%超え)でやっていたものだ。
具体的には、丸めがね、はげカツラというオヤジ姿のカトチャンが、「タブー(禁忌)」という官能的な曲にのって、ピンクのネグリジェ姿とか、その他のさまざまな服装で、寝ころがってストリップ(のまね)を始め、片足を上げつつ「ちょっとだけよ……あんたも好きねえ」と言うという、過激なギャグである。
これを、土曜夜8時という特級のゴールデンタイムに、毎週やっていたのである。まだ家庭に「お茶の間」というものが存在し、子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでが一つのテレビを見ていた時代だ。
このギャグは人気沸騰し、1972年~1973年にずっと続けられ、1973年の4月に、「8時だョ!全員集合」は最高視聴率である50%超えを記録した(ちなみに、志村けんが加わるのは1974年4月)。
もちろんPTAは、これを最悪の番組のなかの、最悪のシーンとみなしていた。子供を一番のターゲットにした番組で、「ストリップ」だものなあ……。
当時は、ただ「うるさいオバさんたちだ」と思っていたが、いま考えると、あちらに理があった気もする。
当然、想像されるできごとであろうが、小学校などでは男子生徒が、みな机にのってこの「ちょっとだけよ」ギャグをやっていた。
あるいは縦笛で、踊りの曲「タブー」をそれらしく吹けるよう、必死に練習していた。
辻元氏は、私と一つ違いゆえ、あのころ小学校高学年だったはずである。安倍首相はもう少し上で、当時高校生くらいだろうか。
さて――国会でのやりとりの場面を、私がテレビ(ビデオ)で見たというところへ話を戻す。
辻元氏が、かの「ちょっとだけよ」を口にしたすぐあと、画面で安倍首相は、「二度見」ならぬ、「二度笑い」をしていた。
一度めは「プッ」と吹き出す感じ。二度めは、口角を上げた「にっこり笑い」であった。
40年以上前の「カトチャン体験」を分かちあう者として、私はこの笑いの意味は、次のようなものではないかと想像する。
(1) シリアスな安全保障問題のやりとりに、思いがけず古の「ちょっとだけよ」が出現したことの「びっくり」笑い。
(2) 「古いなあ……国民の半分以上、それわかんないぞ」という思いと笑い。
(3) 「この人も、子供時代、カトチャンのあれ見てたんだなぁ。大阪で」という、「親しみ感」みたいなもの(個人的には、これがあった)。
(4) 「いかにもまた、辻元節だなあ」という思い(「疑惑のデパート」「疑惑の総合商社」フレーズのような)。
(5) 何十年かぶりに、脳裏に、カトチャンのあの寝姿が浮かんでしまった笑い。
まあ、笑った「真の理由」は、首相質問でもしないとわからないのだ。しかし、このフレーズ「ちょっとだけよ」は、50歳以上の日本人を、良くも悪くも、突然「くだけた」気分へ脱力させることはまちがいないのである。
この「二度笑い」のすぐ後に、首相の例の「早く質問しろよ!」のヤジは出ている。
すなわち、「いら立ったように」といった新聞の描写とはちがい、映像を見ると明らかに「笑い」からの流れなのである。
神経をすりへらす安全保障の議論が続いているなか、ここほど「緊張と緩和」という言葉があてはまる場面もなかったろう。
安倍首相の心中を、私が勝手に(かつ下品に)ソンタクするなら――「国会という厳粛な場で(しかも非常にシリアスな問題で)、そっちが急にカトチャンの『ちょっとだけよ』を口にするもんだから、こっちも軽口的に『早く質問しろよ』と言ったのに、そこだけ切り取って問題にされたんじゃたまんないよ!」という感じではなかろうか。
もちろん、どんな経緯で出たものであれ、失言は失言なのであるが。
辻元氏としては、「ちょっとだけよ」を、こんなシリアスな論争でギャグとして言ったつもりはなかったろう。あれは関西の人らしい、同じことを言うのでもそれを「おもしろく」表現してしまう気質の産物だと思う。
ただ、糾弾として気が張って聞くような状況で、よもや飛び出すとは思わぬあのカトチャン・フレーズがふいに出ると、かなりギャグとして成立してしまう場合があるのだ。正直なところ、私もテレビでパッと聞いて、笑ってしまった。
私はこの点、1万円くらい賭けてもいい気がするけれど、辻元氏の言葉があの「ちょっとだけよ」をふくんでいなかったら、安倍首相の「早く質問しろよ」という過度にカジュアルな物言いも、生じなかったと思う。
あれは漫才でいうところの、ボケに対する「ツッコミ」(=とがめ)に近いリアクションだろう。
皮肉なことに、冒頭の辻元氏の言葉どおり、ここでは小さな「ちょっとだけよ」が、リアクションをまねき、結局おおごとにつながってしまったのだ。
これは、四十数年前のPTAの人々にはよもや想像できなかった、国権の最高機関における「ちょっとだけよ」発言と、総理大臣の笑い→気のゆるみ→エアポケット的失言だったのではないか。
この事件は国外へもかなり報じられ、日本の首相は傲慢なやつだというプロパガンダに利用されている。事実であれば、そう報道され非難されてしかたないのであるが、今回の出来事にかぎっては、原因はたぶん、カトチャンだったのだ。
そのあたりを外国の人々に解説することは、不可能に近いのだけれども……。(そもそも、あの「ちょっとだけよ」という言葉を、どう訳したらいいかわからない。あるいは、苦労して訳すべきか、わからない)
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