捕手こそ投手(その2)
(一週間後、先ほどのテレビ局と同系列の、ラジオ局のナイター中継)
アナウンサー 先日、キャッチャーにスポットライトを当てたPBSテレビの野球中継が、ファンの皆さまにたいへん好評でした。
そこで本日のナイター中継は、「キャッチャー目線のプロ野球」と題しまして、つねにキャッチャーを送球者、ピッチャーを返球者と見る立場で実況いたします。解説はかつての名捕手、布留田(ぬのるた)さんです。
まったく新しいスタイルですので、試合の進行のほうが少々わかりにくいかもしれませんが、皆さまぜひ想像力を働かせてお楽しみください。
(遠い目的地へ行くタクシーのなかで、運転手と客がこのラジオ放送を聞いている)
アナ さあ、試合が始まります。審判から球を受けとって、キャッチャー矢部、第1球を投げました。
ピッチャーの胸元にストライク! どうですか布留田さん?
布留田 初回から、キャッチャー矢部は肩の調子、いいようですね。
それにしてもキャッチャーが第1球を投げたあとに、審判がプレイボールの声をかけたのは遅すぎですね。タイミングを改めてほしいものです。
(キャッチャーのみに、やたら入れこんだ放送が続く)
アナ ……レフト・ポール上のファールボールをめぐる監督の抗議が続いております。
それではこの間を利用して、ジャイアンツのキャッチャー矢部のご家族を簡単にご紹介しましょう。
まず、お父さまの矢部大吉さんですが、昭和××年、名古屋のお生まれで、江戸時代から七代も続く呉服屋を営んでおられ、……
客 キャッチャーの矢部、なぜ七代も続いた呉服屋を、継がなかったんだろ?
運転手 そのあたりの事情も、あとでくわしく説明があるんじゃないですかね。この感じだと。
(試合が進み、中盤に入る)
アナ キャッチャー矢部、今日の50球めを投げたぁ! 布留田さん、矢部がいまクイック気味に投げましたねぇ。
布留田 ピッチャーにカツを入れるためでしょう。その前のピッチャーの返球があまくて、痛打されましたからね。
客 この放送、キャッチャーの動作はやたらよくわかるけど、試合の進行が全然わからねえな。
運転手 たしかに……。
でもそこが、想像をかきたてられて、何かおもしろいじゃないですか。ただ受け身じゃない、リスナー参加型番組というか。
客 プレーボールの時から、一生懸命参加して聞いてるつもりだけど……。
(試合が、いよいよ終盤に入る)
アナ さあキャッチャー矢部、次の球を投げた……これは暴投か? ピッチャーの頭上を大きく越えた!
セカンドが捕って、すぐさま滑りこんできたランナーにタッチ! 盗塁失敗!
矢部、すばらしい肩を見せました。100球を超えても、球威がまるで衰えません。
運転手 どうやら、一つアウトになったみたいですね。
客 いま、ジャイアンツのほうが、ちょっとは分がいいんだろか?
運転手 試合が何対何なのか、知りたいですねえ。
客 ああ。野球の試合じゃあ、かなり重要なことだもんな。
アナ ピッチャー、大きく曲がる球で返球……あっ、この返球はキャッチャーまで届かないぞ!
球をライト追った、ライト追った、ホームラン! ツーラン・ホームラン!
客 ツーランということは、いつのまにか打者が一人出塁していたんだ。
この回は、キャッチャーの休日の過ごし方の話がほとんどだったから、わからなかったよ。
運転手 でも、さっきよりは説明が親切になってきましたよ。ホームランが出て、それがツーランだなんて、ちゃんと言ってる。(キャッチャーにはぜんぜん関係ないのに)
客 さすがに、リスナーから苦情が入ったんじゃないかな。
アナ (絶叫する)おお! このタイミングで、キャッチャーがマウンドに早足で駆け寄ったぞぉ!
運転手・客 (同時につぶやく)どのタイミングだろう?
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