パパはリアリスト
(父と男の子が夏の朝、家から歩いて1時間ほどの場所にある森へカブトムシをとりに行こうとしている。子供にとっては初めての昆虫採集)
子供 カブトムシ、いっぱいとれるといいねえ。
でも、虫とり網は、なぜ持って行かないの?
パパ そんな原始的なものはいらないんだよ。
パパが、ちゃんと秘密兵器を持ってるから大丈夫だ。(背中のバックパックを、ポンポンとたたく)
(二人は森に着く。パパはバックパックから厚紙のたばを取り出し、組み立て始める)
子供 その紙なに?
(紙に書かれた字を読む)
子供 ごきぶり……ホイホイ?
パパ そうだ、これがパパの秘密兵器だよ。
真夏の太陽の下、虫とり網を持ってかけ回らなくても、これをいくつも木にゆわえつけて一晩寝れば、翌朝、カブトムシやクワガタムシがどっさり捕れているんだよ。
これを大人の知恵というのだ。
今日、これを取りつけておいて、あした取りに来よう。
子供 でも、なんだか夢がないね。
パパ 「夢のダンゴより、現実のカブトムシ」という格言があるんだよ。
子供 でもボクが大人になったとき、虫とり網で虫をとった思い出じゃなくて、ごきぶりホイホイから虫を引きはがしている様子がいつも頭に浮かぶのはいやだなあ。
パパ せっかく今は子供なんだから、そんな遠い将来のことを心配するのはおよし。
「未来の淡い思い出より、現在のカブトムシ」という言葉もあるよ。(私がいま作ったんだけど)
子供 わかったよ。
(パパが組み立て終わる)
子供 わあ、紙が、横長のおうちの形になったね。
パパ そうだよ、入ったら最後、二度と出てこれない、昆虫にとっての恐怖の館なんだ。
いちおう、上に貼り紙を付けておかないといけないな。
「この家屋は所有者あり。関係者以外は手を触れぬこと」
パパ これでいいだろ。(カブトムシは字が読めないから、この注意書きは無視するだろうし)
(子供に箱の作り方を教え、森のあちこち、20ヶ所ほどに取り付ける)
パパ さあ、虫の採集は、エキスパートのホイホイさんたちにまかせて、陽ざしが強くなる前にうちに帰ろう。
ゴキブリはともかく、カブトムシにこの箱の正体を知ってる連中はいないだろうから、まったく警戒せず、どんどん入るに違いないぞ。
子供 楽しみだなあ。
(翌朝、また二人で森へ出かけていく。
セミの声がにぎやかな木立へ入ると、子供が、待ちきれなくなってホイホイに駆け寄る)
パパ すごいなあ。子供まであんなに引き寄せている……。
こんなに、ほがらかな気持ちで開かれるごきぶりホイホイは、いまだかつて無かったことだろう。
(子供が箱の一つを開く)
子供 あれっ?
げげえ、つかまってるの…………みんな、ゴキブリばっかだよ!
……カブトムシは一匹もいない。
パパ なんだとぉ!
(父が近寄って中身を見る)
パパ うーむ、この近くに、人家なんてないのになぁ……。
このなかの誘引剤、よっぽど、ゴキブリだけが好む匂いが付けてあるんだな。すごいピンポイント性能だ。
効能に偽りなしだから、アース製薬さんに文句を言うわけにもいかん。
子供 「カブトムシホイホイ」も作って、夏の間だけ売ればいいのに。
パパ ぼうや、今日は思いがけず、ごきぶりホイホイという商品のすごさを学んだね。建物がどこにあるかより、それが何を提供するかによって、訪問者は決まるんだ。
たしかに、一杯飲み屋は、どこに作ったっておっさんが集まるし、日本橋・兜町にエステを作っても、おっさんは絶対入らないもんなあ。
子供 カブトチョウ?
パパ ああ、おっさん密度がたぶん日本一高い町だ。株徒がいっぱいいるんだ。
「石を投げれば おっさんに当たるよ 兜町」という俳句を覚えておきなさい。
「おっさん」が、冬の季語だ。
子供 そのカブトチョウには、カブト以外の、クワガタなんかもいるの?
パパ 兜町にいちばん多いのはコガネムシかもしれんな。みんな金蔵を建てちゃうんだ。
子供 なんのことだかわからないよ。
パパ 子供のころは、みんなそうだから心配するな。
(いくぶんの期待を残して、次々に箱を見ていく。
どの箱を開けても、体色だけは期待どおりながら、望まれざる虫が張りついている)
子供 この虫じゃあ、カブトムシ屋さんへ持って行っても引き取ってくれないよね。(丸みとツヤがちょっと違うくらいなのに)
パパ どの家にも、いすぎて困ってる虫を、欲しがるわけないだろ。
気が滅入ってきたなあ。しかし、これをこのまま放置して帰るわけにもいかない。
こんな所にゴミ箱はないし……。しかたない、うちへ持って帰るとしよう。
(箱を集め、バックパックに詰め始める。木陰で、ずっと下を向いている子供)
パパ 組み立てて箱にしたから、カサが増えちゃったなあ。かといって、虫をひとつひとつ虫かごへ移して、箱をたたむ気にも到底なれん。
お父さんのバックパックだけじゃ、入りきらないよ。お前のバックパックにも少し入れておくれ。
子供 …………。
(バックパックから、虫かごや飲み物などを取り出し、ホイホイの箱を何とかぜんぶ収める。まだちょっと生きている虫が、中で羽ばたく)
パパ ほかにすることないから、帰ろうか? なるたけ早く、この箱、ゴミ袋に入れたいしな。
子供 (無言でうなずく)
(前日より強い陽ざしのなか、汗を流しながら、外で捕ったたくさんのゴキブリを家へ持ち帰る父子。
虫とり網を持った子供たちが、叫び声をあげながらバタバタとその横を駆けぬけていく。虫かごにはたくさんカブトムシが入っている。
その騒ぎに応えるかのように、父子のバックパックのなかで虫がパタパタする)
子供 ちぇっ。
ものすごくいやな夏の思い出が残ったなあ。
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