本棚職人の推理
(身なりのいい一人の婦人が、日本橋の本棚職人のところへやってくる)
本棚職人 いらっしゃいまし。
客 知り合いに、こちらのことを聞きまして――。
本棚職人ってコトバ、わたし初めて聞いたんですけど……日本に、いらっしゃるのねえ。
職 へい、おりますよ。(笑)
この店は明治時代からです。
客 へえ。
それでね、本棚を特注で作ってくださる職人さんに、折り入って頼みたいことがあるのよ。
職 何です?
客 私が大好きな作家、横溝まさふみ先生が、「すけきよの犬、ミケ」という、ゆかいな動物物語を出したんですよ。
職 あ、聞いたことあるな。あんまりくわしくは知りませんが。
客 (バッグから本を取り出す) これが、その上巻でね。
上・中・下と出て、それで完結するはずだったんだけど、先生、書いてる途中でいろいろアイデアが出ちゃったみたいで……上・中・下巻に加えて、このまえ、左巻と右巻というのが出たのよ。
職 サカンとウカン? 何ですかそりゃ?
客 本編の話とは別の、いわゆるサイドストーリーだから、左と右にしたらしいの。
左巻は、ミケの仲間の犬のコースケが、探偵犬になって活躍する話でね。それから右巻は、すけきよの親友が、ふるさとで遺産相続する話なのよ。
職 なるほど、アイデアが横方向へも発展しちゃったわけだ。
客 それでウチではいま、本棚に、5冊を横に「上・中・下・左・右」と並べてるんだけど、巻の名前と方向が合ってないから、見るたびに何だか気持ち悪くてね。
お話的には、「左」と「右」は、「中」に関係してるんですよ。
職 ははあ。
客 特別に思い入れがある本なんで、全体を美しく陳列したいと思って――。
そういうわけで、中巻を真ん中にして、その周りにほかの4冊が収まるような、十字架形の本棚を作ってくれません?
職 十字架形の本棚? こりゃあ、思ってもみない注文だねえ。
本を5冊しか置かない本棚も初めてだけど。
もちろん、そんな本棚を作るのは、ごく簡単なことですが……。
(うつむいて、しばし考える)
職 お客さん、あっしの話を聞いてくださいやし。
客 あ、はい。
職 これはもちろん、一介の本棚職人の推理に過ぎませんがね。
その、すけきよと犬の物語は、まだ本当には終わってないかもしれませんぜ。
客 まだ終わっていない?
職 一件落着したなと、読み手が気をゆるめたとこに、このあとさらに「前巻」と「後巻」が出る気が、あっしはするなぁ。
客 ええっ、前巻と後巻?
職 左巻・右巻なんて妙なものを出してきた、変人作家を甘く見ちゃあいけねえ。
客 私の大好きな作家を、そんなふうに言わないでちょうだい。
職 あ、すいません。
しかし、これは十分に考えられることですよ。
横溝さんは、左巻・右巻なんてものを出した時点で、すでに出版界のルビコン川を渡っちまってる。
1次元のカラをやぶり、初めて2次元へ飛躍した冒険者は、次は自然に3次元を思い浮かべるもんです。
客 なるほど。もともと、どんでん返しを何度かつくるのが好きな作家だし……。
すごく、ありえる気がしてきたヮ。
職 念のため、「前巻」「後巻」用の棚も付けられる構造にしといたらどうです? あとからだと、一から作り直すことになっちゃうから。
もちろん、判断はお客さんにおまかせしますが。
客 でも、前にも後ろにも出っ張ってる本棚なんて、作れるんですか?
職 いまの時代は、3次元プリンタがあるから大丈夫なんです。
客 へえ……よくわからないけど。
(考える)
じゃあ、お願いしようかしら。置き場的には、前後に長くなっても問題ないから。
職 わかりやした。それじゃ、少し具体的なことを考えていきましょう……。
中巻の手前の、前巻の棚は、ちょうつがいで横に倒れるようにしとけば、中巻はすぐ出し入れできます。
後巻を読みたいときは、こうやって上から後ろに手を入れて、上ブタを……。(図を描き出す)
(やがて、特製の3次元本棚が完成し、納品される)
(1年ほど経ったある日。くだんの婦人がにこにこしながら店にやってくる)
職 あ、いらっしゃい。
客 お久しぶりです。
例の、すけきよの本の、前巻と後巻ね。あのあと、やっぱり出たんですよ。
書店で予告のお知らせを見たときは、飛び上がっちゃった。じつに名推理でした。
職 そうですか。それはよござんしたね。
客 上・中・下・左・右・前・後の全7巻を、こんなふうに名前どおりちゃんと保管してるのは、日本でうちくらいでしょうねえ。あんな名前をつけた横溝先生だって、ただ横に並べてると思うヮ。
職 そりゃそうでしょう。
客 ただ、ひとつ心配になって……。
先生、「前」「後」からさらにつき進んで、このあと4次元の続巻をつくらないかしらね。
4次元構造の本棚って、いまの技術だと作れるんですか?
職 いや、さすがにムリです。
ただ、実はそのへん、このまえ本棚つくってる時もちょっと想像したんですけど……。
四つめの、どっかの方角には、上下、左右、前後みたいな方向コトバが、元々ありませんでしょ? 何々巻というふうに、呼べないわけです。
だから、横溝先生に、これ以上の続巻は無いだろうというのが、あっしの推理なんです。
客 ああ、なるほど……。先生は美学を重んじる人でもあるから、たしかに、あまりシツコイどんでん返しはない気がするヮ。
(感心する)
それにしてもあなた、本の入れ物だけ作らせとくのは惜しい人ね。推理小説でも書けばいいのに。
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