白きお顔は七難隠す
(とあるアパート。大家さんが、部屋探しをしている男に2階の空き部屋を見せている)
大家 ここは交通の便がちょっと悪くて、建物もけっこう古いんですけども……ほら、ベランダに出ると富士山が見えるんですよ。
男 あ、ほんとだ、真正面に。こりゃいいや。
(ベランダから周囲を見る)
男 このアパートに駐車場はないんですか?
大家 ええ、5分くらい歩いたとこに、月極の駐車場があるだけですね。そのぶん、静かだし空気もきれいと思いますけど。
男 うへえ、5分かあ……。
(下を向いて、少し考え込む)
大家 そうそう、忘れないうちに。ここの住所は「富士見台」なんですよ。
男 あ、富士見台ねえ、なるほど……。
食料品なんかが買える商店街は、近くにあります?
大家 あるんですが、今はほぼシャッター商店街になっちゃって――大きなスーパーがある場所まで、毎日ちょっといい運動をするという感じですかね。
男 そうですか……。
大家 まあ、お勤めの帰りに、よそでいろいろ買ってこられる方も多いですよ。
(外に目をやる)
ああ、今日は富士山がとってもきれいだ。
(隣の部屋のテレビの音が聞こえてくる)
男 (小声で) 壁が、わりと薄めのような――。
大家 ええ。あんまり部屋が密閉されちゃってる感じはないですね。
古い木造の建物なんで、冬はスキマ風もちょっとだけすごく寒いかな。
でも皆さん、部屋から富士山をながめると、みんな忘れちゃうなんておっしゃいますよ。
男 ……。
大家 それと、あらかじめみんなお話ししておくのが良心的と思いますけど、この部屋は、ほんの少し雨漏りがするんですよ。漏るとこにバケツ置いとけば大丈夫ですが。
男 雨漏りなんて、修繕できないんですか?
大家 どうも、原因がよくわからなくてねえ。
そんなわけで、雨の日はちょっとだけあれなんですけど――。
(陽が差し込むベランダのほうを見やる。男もつられて見る)
大家 でも、基本的に、雨降りよりも、いいお天気の日のほうが圧倒的に多いですしね。そういう日なんかは、富士山最高ですよ。
(数ヶ月後。男が会社で同僚と雑談している)
同僚 そういえば、富士山が見えるとこに引っ越したんだって?
男 ああ、ものすごくいろいろ問題があったんだけど、結局、契約しちゃったんだ。
同僚 やっぱり、富士山が見えるから?
男 うん。
外国人にはけっしてわからない感覚だろうなあ。
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