同じ阿呆なら
(1日、外回りの仕事をしたサラリーマン。夜、久しぶりに立ち寄った店で飲んだあと、繁華街の通りをぶらぶら歩いている)
男 このあたりも、しばらく来ない間に、かなり変わったなあ。店もけっこう、入れ替わってるし。
(とあるビルの2階に、真新しい大きな横看板が出ている)
あなたも10秒で阿波おどりの名人に
ダンス・スタジオ AWAWA
男 なんだあ、あの看板は。あそこ、前は熱帯魚の店だったよな。
阿波おどりの名人になりたい気持ちは特にないけど、10秒という異常な短さがなんだか気になるなあ。
10日か何かの、書きまちがいじゃないんだろか?
しかし、看板を付けるまで、まちがいに誰も気づかないはずはないし――。
…………
どうもあの10秒が、引っかかってならないな。ちょっとだけ、のぞいてみよう。
(自動ドアを遠慮がちに踏んで、店に入る)
店員 いらっしゃいませえ。
男 ええと……前にここに、エンゼルフィッシュのエサ買いに来たことあるんですけど、こんど新しいお店ができたんだなあと。ただそれだけなんですが。
店員 お客さん、いま開店記念で、無料で踊りを体験できますから、どうぞ。
男 ええっ? でも、今日スーツだし――。
店員 スーツのままでぜんぜん大丈夫ですよぉ。いま、ほかのお客さん、どなたもいませんし。
男 はあ……。
(店員の勢いに押されて、カバンを置く)
店員 お客さんの背格好だと……これだな。
それじゃ、これを付けてください。
男 何ですかこの、ロボットが脱皮したあとの抜け殻みたいなメカは!
店員 はは、たしかに抜け殻みたいな形ですね。この中にお客さんが入るんですよ。
いいですか、まず全体を後ろから羽織るようにして……腰まわり、手のまわり、足のところも……はい、10秒でがちゃん。
からだの力は、ずっと抜いたままにしてくださいね。このマシンが動いてるときに中でリキんじゃうと、病院行きになっちゃいますから。
全身が、コンニャクか寒天になった気持ちで。
動きの方は、このマシンが完璧にやってくれます。正面のあの鏡で、ご自身の姿をごらんください。
それじゃ、さっそく行きますよ!
(お囃子と唄が大音量で流れる)
♪ えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ
♪ 踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなソンソン!
(唄に合わせて、男の全身があざやかに動く)
男 あわわっ、関東育ちの私が、みごとに阿波おどりを踊ってるぞ!
店員 いまお客さんが踊ってるのは、本格的な男おどりですよお。
男 うーむ。たしかにその道の名人のごとく、滑らかに全身が動いている。
……しかし、自分がこんなに生き生きと踊りながら、こんなにぜんぜん楽しくないのは初めてだ。
店員 マシンが倒れたりは、絶対にしませんからねえ。何なら、そのままいねむりをしてもいいですよお。
男 私が眠ったら、この状況にいったい何の意味があるんですかあ! (電気のムダだろ)
店員 いえいえ、そのくらい、ご自分では何もしなくていいってことですよお。
正面のカメラで、いちおうビデオ撮ってますんで、よければ記念に、ディスクでお持ち帰りくださいねえ。
(10分ほどで踊りが終わる)
男 はあはあ。からだはメチャクチャ動かしたけど、力は全く使っていないという、ふしぎな疲れかただ。
店員 それじゃお客さん、今日は大サービスでもう一つ、バレエの「瀕死の白鳥」を踊ってみますか?
実はちょうど、伝説的バレリーナ、アンナ・パブロワの、動きのデータを入力し終えたとこなんです。
男 ええっ、まだやるのぉ?
アンナ・パブロワってあなた。
……まあこの状態に至っては、一つも二つもおんなじだからいいか。
店員 それじゃ、いきますよ。パブロワの名演の映像はネットにたくさんアップされてますから、あとで比べてみてくださいねえ。
(サン・サーンスの「白鳥」が流れる。つま先立ちになり、死にゆく白鳥を美しく踊る男)
男 なんと異常な光景だ――と思いつつ、ずっとやってると、人間は慣れてくるもんだな。だんだん、自分で踊っているような気がしてくるから不思議だ。
思い込みの強い人だったら、この機械おまかせダンスで、けっこう自己陶酔できるかもしれん。
ディスク、せっかくだからもらって帰ろうかな。人にはとても見せられないけど。
それにしても、こっちはひたすら脱力してるだけだから、実際にちょっと眠くなってきたなあ。かなり酒も入ってるし――。
(ヴァイオリンとハープの切ない調べが続く)
(自動ドアが開いて、別の客二人が入ってくる)
A ……んとに、10秒って何のことかしらねアケミ。
げっ、あの人気持ち悪い! 背広の上に何か付けて、メチャクチャ上手くバレエ踊ってる。
B しかも、手をヒラヒラ羽ばたかしてるけど、眠ってるんじゃないの?
(いびきをかきながら、全身を優雅に動かす男)
A ついこの間までは、熱帯魚だったのに……。
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